98年に阪神3歳牝馬S(現阪神JF)を制し、同年のJRA最優秀3歳牝馬に輝いたスティンガーが21日、繋養(けいよう)先の社台ブルーグラスファーム(北海道日高町)で老衰のため死んだ。27歳だった。

同馬は98年11月に東京芝1800メートルの新馬戦でデビュー。1番人気に応えて勝利を飾ると、中2週の赤松賞も優勝。勢いそのままに連闘で阪神3歳牝馬S制覇で世代のトップに駆け上がった。4歳シーズン(現3歳)初戦の桜花賞こそ12着に敗れたが、その後はオークス4着、天皇賞・秋4着と距離の万能性を発揮。引退戦となった6歳3月の高松宮記念では初の1200メートルながら3着に好走するなど、あらゆる距離でキャリアを通じて力を示した。通算成績は21戦7勝。

社台ファームの東礼治郎場長は「名伯楽だった藤沢和雄調教師が、この馬なら挑戦する価値があるとおっしゃって、連闘を敢行、みごとに阪神3歳牝馬Sを制したことはいまも記憶に残っています。その後、不振の時期もありましたが、不屈の精神のようなものをそなえた馬で、6歳(現表記)の春に競走生活を卒業するまで、つねに一線級のメンバーと戦いつづけてくれました。繁殖牝馬としても堅実な産駒を数多く送り、その血は広く枝葉を伸ばしつつあります。27歳の大往生ということもあり、残念という思い以上に、感謝の思いがつのるばかりです。いまはひとえに冥福を祈りたいと思います」とコメントした。