若手記者だった1990年代の始め、栗東トレセンの記者席へ行く時、よくトレセン事務所の玄関に中学生が集まっているのを見た。5、6人ほどだっただろうか、出馬表や成績表を見て、あーだ、こーだと盛り上がっていた。トレッ子(トレセン育ちの子供)だけあって、さすがに熱心だなと思ったのを覚えている。

あとで分かったことだが、その中にのちの秋山真一郎騎手や同級生の武幸四郎騎手がいた。「(集まっていて)よく怒られました」。当時の秋山少年はとにかく騎手になりたくて仕方なかったという。

その願いがかない、4、5年ほど後に野村彰彦厩舎からデビューした。同厩舎でよく休憩させてもらっていた記者は彼が調教騎乗の合間に、厩舎に住み着いた猫にえさをあげているのをよく見た。ちゃんと器を洗い、水を新鮮なものに替え、見るからに丁寧に与えていた。見た目はクールでレーススタイルはスマートだったが、そのようなところに人柄がにじみ出ていた。

14年に師匠の野村師が定年引退した時、秋山真騎手が発起人となって盛大な引退パーティーが行われた。20年に彼がJRA通算1000勝を達成した時、それに喜んだ野村元師は「自分の引退式は真(秋山真騎手)がやって(主催して)くれた。コロナが収まったら、自分が真の1000勝パーティーをやってやらないとな」と語っていたという。それを実現できないまま、師匠は21年9月13日に他界した。

調教師に転身するため、惜しまれながら騎手を引退する弟子の姿を見て、天国の師匠はさぞかし喜んでおられるだろうな…なんて想像している。【競馬担当・岡本光男】