6日の阪神競馬7Rで落馬し、頭部と胸部を負傷した藤岡康太騎手が10日、死去した。35歳だった。JRAが11日、発表した。中央競馬担当の下村琴葉(ことは)記者が悼む。

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行き場のない悲しみを文章にすることしか今はできない。

入社直後に競馬担当に配属され、初めて栗東トレセンに足を踏み入れた22年5月9日のことだ。先輩記者に連れられて、調教師や騎手にひたすらあいさつ回りをした。名刺を渡した相手のひとりに藤岡康太騎手もいた。

先輩が「新人が入りまして…」と声をかけると、康太騎手は持っていたせんべいの袋をわざわざベンチに置いて、両手で名刺を受け取ってくれた。「藤岡康太です。よろしくお願いします」。私の目を見て丁寧に話してくれたのを昨日のことのように思い出す。

その日は1日で50人以上にあいさつをした。初日でとても緊張していたのもあって、正直、誰が誰だか混乱していた。多くの人が丁寧にあいさつを返してくれたが、その中でも康太騎手との会話だけははっきりと覚えている。誰よりも優しく、丁寧で笑顔。名刺を受け取るという、何げない行動にも、誠実な人柄がにじみ出ていた。

普段の取材も、記者の目をよく見て丁寧な受け答え。馬の具合のよしあしもハッキリと教えてくれた。トレセンでは白いヘルメットにカラフルなジャンパー、レースではピンクのソックスを身につけていて、遠くからでもすぐに康太騎手だと分かった。もうその姿が見られないなんて、いまだに信じ難い。【中央競馬担当・下村琴葉】