私の甲子園への夢は果たせず、あれから47年。スタンドで、初めて関東第一の試合を見た。私の時は濃紺だったが今は紫。そのユニホームが大舞台で躍動し、気づくと無性に鼓動が高鳴っていた。母校の試合は別格だった。
勝ってほしい。校歌も歌いたいが、試合に出ている選手は全力で、スタンドで応援する仲間は、その姿を目に焼き付けて欲しい。
1977年(昭52)に東東京大会準々決勝で、私が先発し、早実(当時は東東京)にコールド負けで終わった。その年甲子園に出場した掛川西、智弁学園、東海大相模、早実、熊本工は今年も甲子園の土を踏む。
思えば、私の時代は校名を聞かれても「東東京の関東第一です」と答えなければならなかった。それが、日大三高前監督の小倉全由さんが81年に監督に就任され強豪校への道が開けた。
今は激戦区東東京で毎年のように上位に進出する。本当に誇らしい。私は高卒で日本ハムに入団し、幸運にも長くプロ野球で過ごした。野球の奥深さを追究してきたが、やはりその源流は高校野球にある。
3回、同点に追いつき1死三塁から成井の左翼への飛球で、三塁走者は果敢にタッチアップ。左翼手の体勢が左側に流れていることを見逃さず勝ち越しに成功した。名前は同じ関東第一だが、やっている野球のレベルから雰囲気から、私の時とはまるで違う。
後輩の姿を見て、真っ先に胸に去来するのは「やっぱり甲子園に出たかった」との思いしかない。いくつになってもうらやましい。85年に帝京を倒して初出場を決めてくれた時は本当にうれしかった。そして今もこうして、お盆で大勢のお客さんの中で試合。幸せだ。
母校の試合を甲子園で見て、再び遠い日の思いがよみがえった。いつまでも甲子園へのあこがれは色あせない。ハラハラしながら見入った貴重な時間に、後輩に深く感謝したい。(日刊スポーツ評論家)




