野球の国から 平成野球史

中村晃 必ず病克服し再び1軍へ/平成元年生まれ1

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平成元年生まれの野球人が時代の節目に思うことは-。第1回はソフトバンクの打撃職人・中村晃外野手(29)。

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中村晃が、平成最後に大きな試練を乗り越えようとしている。「自律神経失調症」。開幕が迫った3月23日に本人の希望で病名を公表した。現在は福岡・筑後市のファーム施設でキャッチボール、ノック、フリー打撃を続けている。

「状態を上げるとか、そういうのではなくて、しっかりまずは病気の症状をなくすこと。まだあまり眠れないから、体力も回復しない。まだまだです。今はできることをやるしかないですね」。不眠などの症状は続いている。だが、必ず病を克服し再び1軍のグラウンドへ戻る気持ちは変わらない。

14年5月、「ガッチャマンヘルメット」をかぶり、復刻ユニホーム姿でポーズをつくるソフトバンク中村晃(左)と西武浅村栄斗
14年5月、「ガッチャマンヘルメット」をかぶり、復刻ユニホーム姿でポーズをつくるソフトバンク中村晃(左)と西武浅村栄斗

そのユニホームの袖には球団移転30周年の記念ロゴマークがついている。生まれた89年は南海からダイエーとなり、福岡に移転してきた年だ。「縁は感じますね」。当時、ガッチャマンヘルメットと話題になったユニホームが復刻され、14年には着用モデルにもなった。「こんなユニホームもあるんだって思った。小さいころはライオンズ寄りだったので」。埼玉県朝霞市出身。小学生のころは西武のファンクラブに入り、西武ドーム(現メットライフドーム)に通った。松井稼頭央、松坂大輔がスターだった。

中村晃本人も帝京へ進み、1年から出場。高校通算60発のスラッガーとなった。「まだ才能だけでやっている感じですかね。家にバットもなかった。帰って練習することもなかった。寝るだけでした」。才能を見込まれ07年高校生ドラフト3巡目でソフトバンクに指名された。「プロに入ってよく言われましたね。平成元年生まれだと」と笑う。

高卒から不動のレギュラーにはい上がった。「試合に出るためには、どうするか。出た時に2本は打たないといけないし、そうするためには、どうやったら確率が上がるかと。結果が出るには、逆方向にしっかり打っていく。それをしっかり練習した」。

16年1月、自主トレ ティー打撃を行うソフトバンク長谷川勇也(右)とトスを上げる中村晃
16年1月、自主トレ ティー打撃を行うソフトバンク長谷川勇也(右)とトスを上げる中村晃

大きな影響を与えたのは5つ年上、昭和生まれの打撃職人・長谷川勇也外野手(34)だった。入団3、4年目(10、11年)に、当時の西戸崎合宿所に隣接する室内練習場で1月に自主トレ。朝8時から黙々と2人でティー打撃やマシン打撃を続けた。「口数は少ない自主トレで、ほぼしゃべらないですけど、朝からずっとやっていた」。寡黙な2人は、お互いのスイングやフォームを見て、感じ、学んだ。「打撃のことに関しては、あまり分からないですし、人それぞれ感覚が違う。練習のやり方とか集中の仕方とかは、今のホークスの中でも一番すごい人。僕なんて足元にも及ばない」。中村晃から質問することもあったが、基本は見て技を盗んだ。

逆方向へ打つ打撃を磨き、13年から1軍に定着し3年連続打率3割を記録。しかし「投手のレベルは年々高くなっている。今の打撃をしていても、何かおもしろくないし。ここから先がない」と長打力アップへ打撃スタイルをシフトした。昨年は自己最多の14本塁打をマーク。口数は多くないキャラはファンにも浸透している。「もう30歳か…あっという間でしたね」。

憧れの松井稼とは相手として、松坂とは同僚としてプレーすることもできた。高校生が163キロを出す新時代。さらに投手のレベルが上がる「令和」でも、さらにたくましくなった中村晃が安打を量産してくれるはずだ。【石橋隆雄】

長期連載「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」を、新元号となる5月まで送ります。時代を変えた野球人、時代を彩った名勝負、時代を揺るがした事件。「平成」を深掘りして考察します。

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