高原のねごと

いつか見たい1・17に95年オリVメンバー再集合

また、この日がやってきた。25年もの月日が流れたが、どうしても頭から離れない光景がある。95年、仰木監督の下「がんばろう神戸」の合言葉で戦い、優勝が目前だった9月だ。

1995年9月19日、優勝を決めたオリックスナインは大喜びでマウンド上に集まる、後列中央はイチロー
1995年9月19日、優勝を決めたオリックスナインは大喜びでマウンド上に集まる、後列中央はイチロー

地元・グリーンスタジアム神戸(当時)で行われる9月13日近鉄戦と同14日からのロッテ3連戦。この4試合で1つでも勝てばオリックスは地元で優勝を決めることができた。

あのシーズン、オリックスの勝敗、あるいはイチローの安打を被災した人々はわがことのように喜んだ。そんな人たちの前で優勝決定となれば、こんなに感動的なフィニッシュはない。

しかし運命はそうならなかった。まさかの4連敗。このときのことを当時のオリックス代表・井箟重慶氏(84)は昨日のことのように振り返る。「こんな大事なところで4連敗とは。きょうばかりはどんなヤジを飛ばされても仕方がない。そう覚悟して球場を出ました。でも…」。

ヤジはなかった。それどころか「次、頑張れ!」「西武で決めてくれ!」と次カードの敵地・西武戦に向けてのエールが飛んできた。4試合で1安打ずつを放ったイチローもそのとき、こう言って涙を流した。

「神戸のみなさんに申し訳ない…」。安打製造機と呼ばれたプレーに加え、そのスマートさで今も昔もクールな印象なイチローが無念の涙を流した姿には、取材するこちらももらい泣きしたことを覚えている。

イチローは震災の日に際して特にコメントを発することはしない。「神戸を思うのはその日だけじゃない」という気持ちと同時に、仮に自分たちが被災した人々の力になれたとしても、それはそう感じてくれた側の感性によるもので、こちらから何かを与えたものではない、というポリシーがあるからだ。「スポーツ選手が自分で『勇気を与えた』なんて言うのはね…」と苦笑したこともある。

言葉で言う代わりに行動した。00年オフに大リーグ入りしたがオフには必ず神戸に戻り、自主トレを行ってきた。米国に渡ってもイチローの現役時代は神戸とともにあった。

いま思うのは、あの黄金メンバーをそろって見たいなということだ。例えば30年に当たる5年後。イチロー、田口壮、ニール、福良淳一、藤井康雄、佐藤義則、星野伸之といった面々が一堂に会するようなイベントを見てみたい。忘れられない「1・17」にそんなことを思っている。(敬称略)【編集委員・高原寿夫】

取材生活30年を超える古だぬき記者。吉本興業から宝塚歌劇団、あるいはヤバい人たちの取材から始まり、プロ野球ではイチロー日本一(96年)星野阪神V(03年)緒方広島連覇(17年)などの瞬間に立ち会った。日刊スポーツ大阪本社編集委員。

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