新米グラウンドキーパーが忘れられない夏を過ごした。柴田凌さん(21)は今年4月、阪神園芸に入社。「神整備」と呼ばれる職人集団の一員として、100回の記念大会を迎えた。

 大会7日目の8月11日。上司から第1試合の「スコア係」を命じられた。スコア係は若手の登竜門的な役割。スコアボードの左右に掲げられる校旗の上げ下げが主な仕事だ。7回になると、両校の校旗を1度、降ろす。試合が終了し、校歌が流れると同時に、勝った高校の校旗を揚げる。第1試合は、龍谷大平安が鳥取城北にサヨナラ勝ちし、春夏通算100勝目を挙げた。旗がつながれたロープを握りながら、柴田さんの手は震えた。「後輩たちが、目の前で目標を達成してくれた。純粋にうれしい気持ちと、ありがとうという思いだった」。

 柴田さんは、龍谷大平安野球部のOBだった。兵庫県伊丹市出身。中学時代に同校の試合を甲子園で見て、入部を決意。しかしすぐにレベルの違いを痛感した。「どうしたら、貢献できるか。三塁コーチを極めよう」。1年生の秋に、自ら志願した。2年夏が終わり、自身が最上級生になった時、チームは「甲子園100勝」を目標に掲げた。大台まで残り4勝だった。そして3年春に選抜出場を果たす。柴田さんは、背番号「18」でメンバー入り。三塁コーチの地位をしっかりとつかんでいた。「夢の舞台に立たせてもらった。足が震えた」。しかしチームは初戦敗退。夏は京都大会準決勝で敗れた。悲願は後輩に託した。

 高校卒業後も、野球の裏方業を目指そうと思った。履正社医療スポーツ専門学校に進む。2年生の春に、阪神園芸のアルバイトを紹介された。憧れの聖地の土を再び踏んだ。「まさか帰ってこれるとは思わなかったので、うれしかった。甲子園で働くことができたらいいな」。グラウンドキーパーへの思いが芽生えた。

 校旗を揚げるのは簡単ではない。風が強い日は力作業だ。校歌の秒数に正確に合わせ、ポールの頂点を目指す必要がある。柴田さんは、甲子園球場を支える裏方として、母校の勝利に立ちあった。「平安の校歌は56秒ぐらい。完璧に揚げられました」と胸を張った。整備の仕事はライン引きやトンボがけなど、まだ見習いの段階だ。「まだ見よう見まねです。先輩の姿を見て、ここの土が高いんだな、と気付いたり。毎日が観察で、勉強しています。いつか選手の要望に応えられるような、しっかりとしたグラウンドキーパーになりたい」。くしくも、8月11日は21歳の誕生日だった。後輩とともに校歌を歌った夏を胸に、一人前の職人を目指していく。【田口真一郎】