優しい笑顔で、智弁学園・井元康勝部長(75)は甲子園に別れを告げた。選手たちの背中が、大きく見えた。昨夏、長年連れ添った夫人をみとり、直後に腰を手術。昨秋はベンチ入りできなかった。「先生を甲子園に連れていこう」と奮起したチームが近畿大会で準優勝し、甲子園でも優勝にあと1歩に迫った。「感無量です。やり残したことはもう何もない」。延べ20年間の野球部長の務めを、果たし終えた。
教え子だった小坂監督の指導を支え続けた。だめなものはだめと、姿勢は一貫していた。厳しさと温かさは背中合わせだった。
14年のセンバツ前。「今日はやめてやってくれへんか」と主砲・岡本和真(当時3年、ブルージェイズ)の取材に待ったをかけたことがあった。聞いた直後は、過保護な…と感じた。当時からドラフト1位候補。どんなときも自分で語る努力も、将来への経験になるのでは、と思ったからだ。
だが、理由は重圧ではなかった。活躍してもしなくても、自分ばかり注目される。チームメートへの申し訳なさでつぶれそうになっていることに、ベテラン部長は気付いていた。そんな親心と当時の主将の「お前はそういう選手やで」の言葉で岡本は救われた。日本を代表する選手になり、巨人からメジャーに旅立った。
3年夏の奈良大会で優勝し、甲子園出場を決めたとき、岡本は「お世話になっている井元先生が坂本龍馬を大好きで『ゆかりのある長崎に行きたいな』と言われましたから」と勝ち抜いて、秋の長崎国体の出場権を得る思いを語った。その記事を、部長は今も持っている。切り抜いていただける記事をもっともっと書きたかったですよ、井元先生。【堀まどか】




