智弁学園(奈良)が2試合連続サヨナラ勝ちで高松商(香川)を下し、初の頂点に立った。延長11回2死一塁でエース村上頌樹(3年)が中堅手の頭上を破るサヨナラ二塁打。大会5試合を1人で投げ抜き、防御率0・38を残した鉄腕右腕は打ってもヒーローに。「このエースがいるなら日本一になれる」と小坂将商監督(38)が見込んだ村上が、日本一の男になった。

 初めて「日本一を取る」と公言したチームだった。小坂監督はサヨナラ勝利の瞬間、現役時代の担任・井元康勝部長(65)と抱き合った。「頭が真っ白。目標が実現してうれしい」。涙はなく、最高の笑顔で待ちわびた景色を眺めた。

 06年4月、恩師・上村恭生監督(享年46)の死去から4カ月後に監督の座に就いた。智弁学園、法大での主将経験を踏まえ「下の子がやりやすい環境をつくる」と決めた。高校時代には、学校で仲間の部員が犯した失敗に「僕もやりました」と、無関与ながら一緒に先生の叱りを受ける男だった。情熱たっぷりに指導者人生をスタート。だが、理想は遠かった。「自分も生徒をフラットな目線で見られていなかった」。押しつけ指導を排除するのに、3年を要した。

 近寄りがたいオーラを自覚し、自ら部員に歩み寄るのは以前にない姿。いまだに「褒めると口が気持ち悪くなる」と笑う。一方、あいさつやごみ拾いなどの指導に妥協はない。手探りだった指導は文化になり、過度の上下関係をなくした。福元、太田ら下級生がのびのび動き回った優勝だった。

 和歌山県出身。中学時代の智弁和歌山進学断念が挫折だった。指導者になったのは「奈良も強いんや」と思ってもらうため。現役時代の4強を飛び越え、願いはかなった。【松本航】