大船渡(岩手)の最速154キロ右腕・佐々木朗希(2年)はいまだベールに包まれている。日刊スポーツでは緊急企画「衝撃154キロ 岩手の新怪物の素顔」と題して、佐々木の生い立ちに迫る。外面は涼しい顔つきのイケメンだが、内面は自分でも認める「大の負けず嫌い」。エンゼルス大谷翔平投手(24)と同様、成長痛に苦しみながら不屈の闘志で成長を遂げたみちのくの剛腕の性格を分析した。

 佐々木は涼しい顔に似合わず「大の負けず嫌い」を公言している。一時期、携帯の待ち受け画面を横浜(神奈川)の最速152キロ左腕・及川(およかわ)雅貴(2年)に設定していた。理由は「及川がU15日本代表で、中学から有名だったから」。会ったこともない相手にメラメラとライバル心を燃やせるのが、佐々木のすごさだ。及川は今夏の甲子園出場を決めている。

 佐々木 個人的には及川が甲子園で活躍してくれたら一番の刺激になる。自分にとって刺激になるような結果を出してほしい。

 盛岡三との初戦でマークした最速154キロも「負けず嫌い」の産物だった。人生初の本塁打を打たれた直後の打者に、ギアを上げて2球連続で全国最速をたたき出した。佐々木はなぜ異常なほどの「負けず嫌い」なのか。母陽子さん(45)が理由を明かしてくれた。佐々木は3兄弟の次男で、3学年上の長兄琉希さん(19=大学2年)の存在が大きかった。

 陽子さん 琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。野球面でも生活面でも、朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。

 琉希さんも大船渡野球部OBで、4番も任されることもあった。生活面に限らずプレー面でも「お前レベルの選手はたくさんいる」と褒めもせず、あえて突き放し続けた。そんなに弟へ厳しく接する兄に、陽子さんは夫功太さんの残像を見ていた。沿岸部の陸前高田市で生まれ育った佐々木は11年の東日本大震災で被災。津波で父を37歳で亡くしていた。

 陽子さん お父さんが長男にはしつけの面で厳しくて、弟の朗希と怜希にはすごく優しかった。琉希本人には聞いたことありませんが、父が亡くなってしまったので、その立場を琉希がやろうとしていたのかもしれません。

 現在、佐々木は自分の最大の武器である「負けず嫌い」を育んでくれた兄に感謝している。

 佐々木 上下関係が厳しくて、人に迷惑かけたりすると怒られた。今は優しい。いろいろ強くさせてもらった。

 兄の弟への接し方が、佐々木の生き方を決めた。中学時代に最速141キロをマークして県内の強豪私学からの誘いはあったが、すべて断り地元の大船渡を選んだ。

 佐々木 地元のメンバーと一緒に打倒私立で甲子園に行くために、大船渡を選んだ。目標を果たし、夢をかなえられるように。

 夢は広がる。最速154キロは今年の高校生で全国最速。来年の目標は決まっている。

 佐々木 160キロオーバーを投げられるように。甲子園に出て、甲子園最速を投げたい。そして、絶対にプロへ行く。

 強靱(きょうじん)な精神力が「岩手の新怪物」を生み出した。雪辱の夏を糧に、この秋さらに成長した姿を披露する。(つづく)【高橋洋平】

 ◆佐々木朗希(ささき・ろうき)2001年(平13)11月3日生まれ、岩手・陸前高田市出身。高田小3年から野球を始め、11年の東日本大震災で被災。大船渡に移り住み、猪川小に転校。大船渡一中では軟式野球部に所属し、Kボール選抜で全国大会初戦敗退。大船渡では1年夏からベンチ入りし、昨夏は公式戦初登板となった初戦2回戦の盛岡北戦で147キロ、今春は盛岡中央との県1回戦で153キロ、今夏は10日の盛岡三戦で154キロを2球計測。6月に発表されたU18日本代表の第1次候補入り。189センチ、81キロ。右投げ右打ち。家族は母と兄、弟。好きなアイドルは福田愛依。