広島新庄・迫田前監督が教え子に別れ「夏を制して」

広島新庄を3月末で退任した迫田守昭前監督(74)が4日、広島・北広島町の同校グラウンドで教え子に別れを告げた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で出場予定だった春のセンバツが中止。悔しい思いをした教え子にサプライズプレゼントを用意し、思いを託した。同校コーチだった宇多村聡氏(33)が1日から新監督を務めている。

   ◇   ◇   ◇   

迫田前監督はグラウンド上で腕を組み、感慨深げに教え子たちを見つめていた。「やっぱりユニホームを着た選手と会うのは最高ですね。涙が出そうなくらいうれしかった。これ以上の幸せはないです」。3月14日から練習を自粛しており、約3週間ぶりの再会。満面の笑みがこぼれた。

新年度に変わるタイミングで、07年秋から12年半務めた監督の座を後進へ譲った。退任は2~3年前から考えていた。「随分長い間務めさせていただいた。どこかで後継者に譲らないといけないというタイミングを計っていた。急に決めたことではないです」。広島商監督時代の教え子で、09年から広島新庄のコーチを務める宇多村氏に後を託した。

練習開始前に60人の部員を集め、感謝の気持ちとともに力強く思いを伝えた。「新チームになった時は歴代と比べて若干力が落ちると思っていた。一戦ごとに力をつけ、見違えるくらいのチームになった。私の中で一番印象に残るチーム」とたたえ、「コロナに負けないで、全員で次の試合に向かって、必ず夏を征してほしい。遠くから試合を楽しみながら見させてもらう」と心待ちにした。

広島商時代は「鬼監督」だった。広島新庄の監督就任後は厳しい指導がプレーに影響することを感じた。「どうしたらいいか毎日考えた結果、褒めて褒めて褒めて褒めまくることだった」。指導の変わりように宇多村氏から「監督かなり変わりましたね。あれだけ酷かったのに、今はニコニコして褒めてばっかり」と驚かれたという。

広島新庄が6年ぶり2度目の出場を決めていた春のセンバツは中止。迫田前監督は「何か心に残るものを」と入場行進で使用する予定だったプラカードの校名を書いた伊予(愛媛)の書道部に手紙でお願いし「広島新庄 目指せ夏の甲子園」と書いてもらい、記念のボードをプレゼントした。「彼らも甲子園の土を踏めなかった悔しさはあると思う。現代っ子は切り替えが早い。夏に期待したい」と祈った。

高校野球について「生活の全てでした」と振り返った。今後については「何をしようというのはない。まずは健康に留意して、彼らの成長を見ていきたい」。当初は部員20人だった弱小チームを全国レベルまで押し上げた名将が指導者生活に幕を下ろした。【古財稜明】

 

◆迫田守昭(さこだ・もりあき)1945年(昭20)9月24日生まれ。広島市出身。広島商、慶大、三菱重工広島で捕手としてプレー。三菱重工広島の監督を務めた後、00年秋から広島商監督としてソフトバンク柳田らを指導。02年春、04年夏甲子園出場。07年秋から広島新庄の監督に就任し、14年春、15、16年夏、20年春と4度の甲子園に導いた。同校の教え子に巨人田口、日本ハム堀ら。広島商、如水館を率い、現在は竹原の監督を務める迫田穆成(よしあき)氏(80)を兄に持つ。