V戦士がまた1人、バットを置いた。阪神一筋19年の関本賢太郎内野手(37)が9月30日、西宮市内の球団事務所で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。支え続けたファンや家族に、涙を浮かべて感謝の思いを伝えた。クライマックスシリーズ(CS)からの日本シリーズ進出のチャンスは残されており「夢を追いかけたい」と日本一への決意を新たにした。
背番号3のユニホーム姿が最後まで映えていた。会見場に姿を現した関本は、晴れやかな表情だった。タテジマひと筋19年。酸いも甘いも経験してきた。さまざまな思いが脳裏を巡る中、静かに引退理由を語りだした。
「今シーズン2回戦列を離れたということですね。それが一番の理由です。好きで小さいころから野球を始めたんで、最後に打てなくなって野球を嫌いになってやめるのが嫌でした」
6月上旬、左脇腹を痛めた。リハビリを経て戦線復帰するも、8月に今度は右背筋を痛め再離脱。引き際を考えるきっかけになった。
入団当初は右の大砲候補だった。しかし何度も壁にぶつかった。バットを短く持ったり、犠打の技術を磨くなど生き抜くために試行錯誤を繰り返した。05年から07年にかけて二塁手のセ・リーグ記録の804連続守備機会無失策。08年にはプロ野球タイの1試合4犠打も記録したことは勲章だ。大柄な体格には似つかない細かな技術の数々でファンを魅了し続けてきた。
「正直あっという間でした。高校から入ったときはすごい自信があって、2000安打したり、ホームラン王取ったりとかそういう夢を抱いて入ったんですけど。入ってみて通用しないというか、それに気付けたので19年も出来たのかなと思います」
会見の最後、ファンへの思いを語ろうとした時にこみ上げる涙を抑えきれなかった。
「ここ数年、引退を考えるようになってからファンの声援がなくなったらやめようと思っていたんですけど、最後まで大きな声援をいただいて感謝しています」
4日甲子園最終戦の広島戦終了後に引退セレモニーが予定されているが、リーグ優勝を2度経験した関本にはまだ1つだけの心残りがある。
「日本一になれていないというのが心残り。(今年が)本当の意味でラストチャンスなんで。その夢を追いかけたいなと思います」
最後に夢を現実にするために。猛虎の一時代を築いた男のドラマはまだ終わっていない。【梶本長之】
◆関本賢太郎(せきもと・けんたろう)1978年(昭53)8月26日、奈良県生まれ。天理から96年ドラフト2位で阪神入団。02年から内野のユーティリティープレーヤーとして頭角を現す。お立ち台では「観戦後のスタンドをきれいに」と呼びかけ、09年には球団から甲子園美化委員長に任命された。「必死のパッチ」も決めゼリフ。12年以降は主に代打の切り札として活躍した。186センチ、96キロ。右投げ右打ち。



