陸上部、予備校、敬遠涙…日本人初の偉業/上原足跡

巨人の上原浩治投手(44)が20日、都内のホテルで会見をし、現役引退を表明した。

<上原の主な足跡>

◆75年 4月3日、大阪府寝屋川市生まれ。誕生日は巨人高橋由伸前監督と全く同じ。

◆88年 入学した寝屋川十中に野球部がなく、陸上部に所属。

◆91年 東海大仰星高では外野手。3年で投手になるも、後に日本ハム入りする建山義紀の控えで、打撃投手をする補欠だった。

◆95年 予備校に通い、夜中には工事現場での警備員、運送業のアルバイトをしながら、1浪して大体大に進学。

◆97年 大学3年時の8月。スペイン・バルセロナで開催されたインターコンチネンタル杯の決勝で、当時国際大会151連勝、“赤い稲妻”と称されたキューバを5回1/3、5安打1失点に封じ込んだ。6月の日米大学野球でも、当時大会タイの14奪三振。

◆98年 大体大でリーグ通算36勝4敗(13完封)。エンゼルスとの争奪戦の末、巨人を逆指名しドラフト1位で入団。

◆99年 新人最多の15連勝を記録するなど、20勝で最多勝、最多奪三振、最優秀防御率、最高勝率の4冠。新人王と沢村賞にも選出。10月5日の最終登板では、松井秀喜と本塁打王を争うペタジーニ(ヤクルト)に対し敬遠指令が出て悔し涙を流した。「雑草魂」が流行語大賞に。

◆00年 王、長嶋両監督の「ON対決」となったダイエーとの日本シリーズで、2連敗後の第3戦に勝って流れを変え、入団後初の日本一。

◆02年 初のシーズン200イニング到達で2度目の最多勝。日本シリーズ第1戦で松坂(西武)に投げ勝ち、日本一。

◆03年 7~8月に7試合連続完投勝利。2年連続200イニング到達。

◆04年 8月のアテネ五輪で2試合に投げ銅メダル。9月に結婚。

◆06年 第1回WBCで優勝。準決勝の韓国戦では勝利投手に。巨人では回数、連続とも球団最多の7年連続開幕投手。ドラフト制後では、松坂に並ぶ最速100勝。

◆07年 開幕前の3月15日、左太もも裏を痛め開幕が絶望となり、原監督から抑え転向を打診された。55試合で32セーブ。

◆08年 北京五輪で1セーブ。大体大時代から国際大会は12勝0敗2セーブ。オフにFAでオリオールズ移籍。

◆09年 大リーグデビュー戦の4月8日ヤンキース戦(オリオールパーク)で、ヤ軍の4番松井秀を3打数無安打に抑え5回1失点で勝利投手。

◆10年 09年は6月の右肘靱帯(じんたい)損傷から登板がなく、10年もオープン戦で左太もも裏を故障。この年からリリーフ専門となる。大リーグ通算95セーブは佐々木(129セーブ)に次ぐ日本人2位。

◆11年 10年7月から年をまたぎ連続イニング無四死球を日本人最長の37回2/3に伸ばす。シーズン途中でレンジャーズに移籍。

◆13年 レッドソックス移籍。7月9日~9月13日に日本人最長の30回1/3連続無失点(27試合連続無失点)。37人連続アウトを記録した。タイガースとのリーグ優勝決定戦で1勝3セーブを挙げMVP。カージナルスとのワールドシリーズを制し、日本人唯一の胴上げ投手。

◆14年 39歳でオールスター出場。打者1人、4球で奪三振。

◆16年 FAとなったオフに世界一のカブスと41歳で契約。

◆18年 10年ぶり巨人復帰。背番号は11。7月20日広島戦でホールドを記録し、日本人では初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。最終登板の9月23日は43歳5カ月で、球団史上最年長出場。

◆19年 背番号をかつての19に変更。イースタン・リーグの5月3日ロッテ戦で、同学年の福浦と対戦して右飛に打ち取る。

その他の写真

  • WBC準決勝の韓国戦で崔熙渉(チェ・ヒソプ)を三振に取り雄たけびをあげる上原浩治(2006年3月18日撮影)
  • ワールドシリーズを制しトロフィーを掲げるレッドソックス上原浩治(左)と田沢純一(2013年10月30日撮影)