力は憧れから生まれる。巨人の球団代表取締役社長兼編成本部長に就任した今村司社長(59)に迫る。東京大学文学部卒業後に日本テレビに入社。プロ野球中継などスポーツ畑でキャリアを積み、その後、編成局では敏腕プロデューサーとしてヒット番組を連発した。テレビ局出身者が老舗球団のかじ取りを任せられるのは初めて。民意を重んじる新社長の「紳士たれ」とは。【取材=前田祐輔、為田聡史】

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人生のシナリオは、本能的に芽生えた。

高校時代、ブラウン管の中で描かれた物語に心を躍らされた。「倉本聰さんに憧れていたんですよ。倉本聰さんにかぶれていた。『前略おふくろ様』とか『北の国から』とか。市川森一さん、向田邦子さん、早坂暁さんとかね。脚本家に憧れていたんですよね」。

大学受験は、倉本聰氏と同じ東京大学文学部・美学芸術学科の一本に絞った。「本当に倉本聰になりたかったんだよね。なるためには、そこに行かないといけないと思っていた。倉本さんを理解するために東大に行って。東大で何をしたのかなとか。そういう感じだった」。1浪の末にたたいた赤門。だが、講堂の授業より、実社会の中にある生きた教材にのめり込んでいった。「はっきり言って、入ったところで俺の学歴は終わった」。目白にある学生寮「和敬塾」に入ると、そこは個性の集まりだった。「いろんな先輩とかがいたりする。楽しいから学校に行かなくなる。1年生で、すぐに留年が決まった」。

カオスの中で自分を磨き、道しるべを探した。「あらゆるものをいろいろ、見てみようというのはあった。いろんな価値観とか文化的な素養とか、音楽とか、文学だとか、舞台とか。野球を含めてすごく見ていた。エンターテインメントの基礎は大学時代にあるかもしれない。経験だけは絶対に裏切らない」。

◆今村司(いまむら・つかさ)1960年(昭35)5月10日、神奈川・横須賀生まれ。東大文学部を卒業後、85年に日本テレビに入社。ボクシングのマイク・タイソン戦や巨人戦などを担当。15年1月に侍ジャパン事業を担う「NPBエンタープライズ」社長に就任。17年5月に日本テレビへ帰任し、19年6月から現職。同11日の就任会見では「SEIKO」をテーマに掲げ「サプライズ」「エンターテインメント」など、5項目の充実を約束した。