阪神1位西純矢「被災地元気づけた」マー君が理想像

  • 阪神・淡路大震災から25年、鳴尾浜で黙とうを捧げる、左から平田2軍監督、西純矢、井上ら阪神の新人選手たち(撮影・清水貴仁)

悲しい震災から25年を迎えた日に、阪神ドラフト1位西純矢投手(18=創志学園)が周囲を照らすような活躍を心に誓った。阪神の球団職員、新人を含めた選手、スタッフら約80人が17日、兵庫・西宮市内の鳴尾浜球場で黙とうし、阪神・淡路大震災の犠牲者を悼んだ。半旗が掲げられた球場で、西純は苦しむ人を勇気づけられるような存在になると宣言した。

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静まり返った鳴尾浜で西純は目を閉じた。約1分間の黙とう。風の音のみ聞こえてくる球場で、犠牲になった人々へ哀悼の意を示した。脳裏に浮かび上がってきたのは、日本が誇る大エースの勇姿だった。「楽天の田中将大さんは(東日本大震災の)被災地の方を元気づけていた。ああいう姿が理想のプロ野球選手だと思う」。西純は阪神・淡路大震災を直接は知らない世代だが「自分もそういう姿を目指していかないといけない」。悲しみが癒えない人もいる。地元球団の一員として、神妙な面持ちでぽつぽつと思いを吐露した。

11年に起きた東日本大震災で傷ついた日本、東北地方に勇気を与えた1人が現ヤンキースの田中だった。震災から2年後の13年に前人未到のシーズン24連勝を成し遂げ、楽天を初のリーグ優勝と日本一へ導いた。当時小学生だった西純は、テレビで何度もその感動的なシーンを目にした。「本当に田中将大さんのチームだった。そうならなければならない」。関西を襲った震災から四半世紀がたって風化の懸念も高まる中、マー君ばりの活躍を誓った。

同じ天災の被害を受けた身として、この日の祈りへの思いは強かった。西純が高校2年だった18年夏に西日本豪雨は起きた。創志学園の被害は少なかったが、自転車でグラウンドに行く道程で水につかることもあった。「他の高校は練習ができない中、大会に挑んだりしていた。自分たちは感謝しながらやらせてもらいました」。チームは岡山大会を勝ち抜き、その夏の甲子園に出場。西純は1回戦で創成館(長崎)を相手に16奪三振完封勝利を挙げ、被災地を勇気づけた。

プロの世界に入っても志は変わらない。「矢野監督は、人に夢と感動を与えれるような人になってくれと言われていた。そこを大事にしてやっていけたら」。「阪神の優勝」という最高の結果で、希望の明かりをともし続ける。【只松憲】

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平田2軍監督(大震災から25年たち)「当時神戸に住んでいて、昨日の事のように思い出される。(新人で)震災を知らない選手がそろうのは初だけど、そこから立ち上がって強くなっている人はたくさんいる。忘れちゃいけない」

阪神北川2軍打撃コーチ(プロ1年目に虎風荘で被災)「震災のことを知っている人はこれから少なくなってくる。日本全国でも、いろんなところで大きな被害があるので、教訓というのを生かせればいいなと思う」