茂みからぬっと現れたニワトリの、白さと大きさに仰天した。1995年11月22日の昼前。大阪・富田林市のPL学園で、福留孝介内野手(当時3年)の会見取材を終えたばかりだった。携帯電話を握りしめ、学園内をうろうろしていたら、ニワトリに出くわした。PL学園はこんな立派なニワトリを放し飼いにしているのか? 卵のためか、それとも? とつらつら思いながら、のんきに歩く赤いトサカがうらやましくなった。

会見に先立つドラフト会議で、高校生史上最多7球団の競合の末、近鉄が福留の交渉権を引き当てた。福留は、ドラフト前に意中の球団以外なら社会人の日本生命に進む進路を公表していた。ドラフト会議後の会見で福留は初めて、中日、巨人が意中の球団だったことを明かし、進路については態度を保留した。

取材対象者の態度保留とは、取材する側にとっては迷路を意味する。福留はもともとプロ志望。意中の球団への思いはあっても、結局はプロ入りを選ぶだろう。ただ、その結論をいつ出すのかわからない。連日、PL学園かPL球場の前で立ちつくす毎日が続くのだろうか? 突如現れたニワトリの白くて丸い体を眺めながら、このニワトリと友だちになる日は近いのかもしれないと、富田林の冬の寒さを思って身震いした。

ところが、あっさりと答えは出たのだ。

校内に、午前中の授業終了を告げるチャイムが鳴った。昼時だった。ドラフト会場に詰めていた近鉄担当から、クジを引き当てた佐々木恭介監督が東京から一路富田林に向かうという連絡が入った。長い1日になることが予想された。同じように福留の進路を思って途方に暮れている他社の担当記者と、まずは腹ごしらえをしようと校内を出かけたときだった。

甲高い声が、校舎の窓から降ってきた。「東京大会って、いつからやるんですか?」。2階の窓から、福留が叫んでいた。

へ? 

一緒に昼食に出ようとした他社の記者が「もう、決めてるんやな」とうなずいた。プロには行きません。日本生命に進みます。社会人の東京大会の開幕日をわざわざ聞いてきたのは、その意思表示だった。運命のドラフトから、1時間もたってはいなかった。

その夜、福留は野球部寮で、佐々木監督の熱烈な指名あいさつを受けた。しっかりと受け答えをし、丁寧な態度と笑顔で監督を見送った。それでも意思は変わらなかった。「自分自身の気持ちを変えるつもりはありません」と断言。取材したこちらは、自信を持って「福留、近鉄拒否」の1面原稿を書くことができた。

出稿を終え、近鉄富田林駅前のドーナツ店で一息ついていたら、デスクから電話がかかってきた。

「あのなあ、佐々木監督と並んでる福留の写真が出てきたんやけど、どう見ても『近鉄拒否』の顔に見えへんねん。完全な笑顔やぞ」

「そう言われましても…」

「どう見ても『近鉄に入ります』の顔やねん」

「はあ…」

会社に戻って刷り上がった1面を見たら、デスクの言う通りだった。極上の笑顔で、福留は佐々木監督と肩を並べていた。紅白のふんどしを締めて当たりくじを引き当てた熱血監督は、この笑顔で見送られて、まさか入団を拒否されるとは思いもしなかっただろう。

あの笑顔は、迷いなく自分の将来を決めた18歳の表情だった。そのあと、1度も態度を変えることなく、福留は日本生命に進んだ。

先日、福留が阪神から戦力外を伝えられたことが判明した。それでも44歳になる来季も現役で迎えるため、新天地を模索する。ぶれない意思が、長寿の現役生活を支えている。【元アマチュア野球担当=堀まどか】