今年2月、斎藤から声をかけられた。日本ハムの2軍がキャンプを行った沖縄・国頭のブルペン脇で「木下さん、担当長いですよね?」。私は、斎藤が日本ハムに入団した11年1月から記者となり、日本ハム担当となった。「斎藤君と同じ年数、やっているよ」と返すと、斎藤は「そうですよね。ずっとですもんね」と、笑っていた。

10年前から、そんな優しさ、気遣いは変わらない。佑ちゃんフィーバーの11年1月。千葉・鎌ケ谷での新人合同自主トレの期間中に、あいさつをする機会に恵まれた時は驚いた。名刺を渡すと私の名前を確認し、私の目を見て「木下さんですね。よろしくお願いします」と、返してくれた。今振り返っても、めったにない丁寧な対応だった。

私は100人前後の報道陣が詰めかける中での有象無象の1人。当然、すぐに名前を覚えてもらったわけではないが、同年2月の春季キャンプ中、人づてに聞いたのは私のことを「眼鏡をかけて、ちょっと小柄な方」と、認識していたそうだ(見たまま覚えていてくれた)。ありがたかったのを覚えている。

この2年はコロナ禍で、思うように対面取材はできなかったが、斎藤は必ず質問相手の目を見て答えていたのも印象的だ。時には取材を受けるのも嫌な時があったはずだが、1対1での取材では真摯(しんし)に受け答えしてくれた。そんな姿に周囲の人たちは魅了され、多くのサポートや応援も受けながら、大ケガとも向き合って野球人生を納得するまで全うできたのだと思う。【日本ハム担当=木下大輔】