ベールに包まれた無名右腕が、メジャーの舞台に挑む。BC・茨城の松田康甫投手(23)が16日までにドジャースとマイナー契約を結んだことが球団から発表された。17日に会見が行われ「世界一の野球選手になることが目標です。今はしっかり直すことが目標です」と力を込めた。

身長193センチ、体重93キロで最速155キロの大型右腕だが、入団1年目の昨季の登板はわずか3試合。拓大時代も4年間で公式戦のマウンドに上がったのは1度のみ。実績こそないが、伸びしろを買われた未完の年男が、米国でのし上がる。

◇  ◇  ◇  

身長193センチの長い手足から繰り出される力強い速球がメジャースカウトの目に留まった。ドジャースとのマイナー契約を決めた松田は「うれしいです。家族に伝えたら『ありえん!』って驚かれました」と白い歯をのぞかせた。ここまで抜きんでた成績は残していない無名右腕のメジャー挑戦。家族が絶句したのも無理はなかった。

石川・金沢高では3年夏にエースとして県8強入りも、甲子園は未出場。拓大進学後も1年冬に右肩の内視鏡手術を受けた。その影響で、公式戦の登板は4年間でわずか1試合。その唯一のマウンドも苦い思い出が残る。「4年最後のリーグ戦で順位も決まっていた試合でした。『練習頑張ってたから』って記念に登板させてもらったんですけど、13球中1球しかストライクが入らなかったんです」。3者連続四球。投げることに恐怖さえ覚えた。

それでも卒業後は、当時の最速146キロに将来性を感じたBC・茨城に入団。ジョニー・セリス前監督からの「野球を楽しく。エンジョイだ」という言葉に、失敗を気にしなくなった。練習量を減らす勧めも受け、毎日入っていたブルペンを週に1度に。松田は「毎日入ることでなあなあになってしまっていた部分が、減らすことで1回1回の質が上がりました」。入団1年目の昨季の登板はわずか3試合だったが、4月の巨人3軍との交流戦で先発し、潜在能力の高さを披露。松井、加藤、増田陸から3者連続三振を奪った。1イニングだけの登板も手応えをつかみ、球速は155キロまで伸びた。

小学生の頃から、夢はメジャーリーガー。「ずっと世界一の野球選手になりたいと思っていました。まずはメジャーの選手になることが目標です」と力を込めた。関係者は「角度があって打者は実際の球速以上に速く感じると思う。将来的には100マイルを超えてもおかしくない」と話す。「アピールポイントは球速です」という未完の大器が、茨城から海を渡る。

◆松田康甫(まつだ・こうすけ)1998年(平10)10月14日生まれ、石川県出身。松陽小2年時に松陽少年野球クラブで野球を始め、笠間中では軟式野球部に所属。金沢高では2年春の北信越大会で初めてベンチ入り。3年時に背番号1を背負うも甲子園出場はなし。拓大では公式戦での登板は1試合のみだった。21年にBC・茨城に入団。球種はフォーク、スライダー、カットボール、カーブ、シンカー。193センチ、93キロ。右投げ右打ち。血液型O型。趣味はゲーム。

◆ロサンゼルス・ドジャース 1883年にニューヨークで「ブルックリン・クラブ」として創設。1958年ロサンゼルス移転。1890年ナ・リーグに加盟。日本人では過去に野茂英雄、石井一久、木田優夫、中村紀洋、斎藤隆、黒田博樹、前田健太、ダルビッシュ有、筒香嘉智が在籍。リーグ優勝24度、ワールドシリーズ優勝7度。本拠地ドジャースタジアム。