日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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パリ五輪が盛り上がりをみせる中、逆にボンジュールの国から、日本を訪れたフランス人ご一行がいる。せっかく五輪が地元で開催されているのに、“野球”を求めてやって来た。

かつて仏野球ナショナルチームの主力ジャメル・ボータグラが、監督として少年少女野球チーム「セナート」を率いて関西合宿のため来日。12歳から16歳までの選手30人、コーチ5人、家族15人の計50人を連れてきた。

当時のナショナルチーム監督は、阪神初代日本一監督・吉田義男で、ジャメルは正捕手だった。89年から7シーズンにわたって代表監督を務めながら、師弟で五輪出場の夢を追いかけた間柄だ。

昨年までパリ大学野球部監督を務めたジャメルは、今年から「セナート」を指導している。吉田が野球不毛の地に“種”をまいた後、その門下生として野球の伝承に力を入れてきた。

吉田が渡仏した時代のフランス野球は教えるレベルではなかった。集合時間は守らない。グラブを構えたところ以外は捕らない。バントを指示しても「なぜおれが犠牲になるの?」と理解を示さない。

東洋の国からきたオジサンは、パリジャンには奇異な存在に映ったらしい。しかし徐々に両者間の距離は近づく。吉田が「ノックがコミュニケーション」という手取足取りの指導で選手は目つきを変えていった。

今回の「セナート」にとって、野球の本場といえる日本はあこがれだった。野球を通じた日仏交流でもあった。大阪、奈良で、ボーイズ、シニアと10試合を戦って2勝8敗。少年少女たちは目を輝かせながらプレーした。

ミキハウス、フランスでプレーした世話人の藤井大志(会社経営)は「ほとんどが日本は初めてで、礼儀正しさなどを学んだようです。12歳は差があったが、15歳レベルはいい勝負をしていました」という。

オリックス対ロッテ(京セラドーム)を観戦し、日本のレベルの高さを肌で感じたのも収穫だった。京都・清水寺、錦市場、大阪城、難波などを観光して異国の文化にも触れた。

甲子園100周年の始球式を務めたばかりの吉田も「セナート」を激励に訪れた。フランスで“プチサムライ”と称されたムッシュ吉田は「いつかフランスから大谷のような選手が出てくることを願っている」といって写真に納まった。

東京五輪で追加種目に認められた「野球ソフトボール」は、今回のパリ五輪で除外された。野球文化はなかなか浸透しないが、球場がないわけではない。26年ロサンゼルス五輪ではたちまち復活するらしい。

今年もメジャーリーグのパリ開催が計画されたが残念ながら頓挫した。ただし韓国、ロンドンで試合が行われてきたように、MLBが欧州に市場拡大を狙っているのは間違いないだろう。

約2週間の合宿を終えた「セナート」は、4日帰国の途についた。何人かは野球アカデミーに進む。まだまだ遠い道のりかもしれないが、パリに野球という“花”が咲く日がくると信じたい。 (敬称略)【寺尾博和】