リングにかける男たち

経営難、比嘉の減量失敗…歯車狂い歴史あるジムに幕

国内にボクシング専門誌は2誌ある。毎月15日に発売されるが、一方の雑誌のある広告に目が止まった。白井・具志堅ジムの練習生募集だった。2週間前の6月1日に営業再開も、その5日後には7月限りでジム閉鎖を発表した。まさに突然を示していた。

白井・具志堅スポーツジムの外観(2020年6月6日撮影)
白井・具志堅スポーツジムの外観(2020年6月6日撮影)

具志堅会長はホームページ上で「気力、体力ともに、これまでのように情熱を持って指導にあたるには難しい年齢になった」と説明した。第1号と最多防衛記録保持者。日本ボクシング界の偉大な2人の名を冠したジム閉鎖は寂しい限りだ。

ジム4人目で5度目の挑戦にして、17年に世界王者比嘉大吾が誕生した。全国には282のジムがある。世界王者が育ったジムは37だけだが、白井・具志堅ジムは新興とも言える。オープンは95年だった。

英雄2人は当時TBSの解説者で、具志堅会長はジム経営の希望を持っていた。名誉会長となる白井氏がアートネイチャー創業者阿久津氏と親交があった。阿久津氏はアマ経験者だったこともあり、全面バックアップを申し出て、引退から14年後にジム開設となった。

代々木のアートネーチャー旧本社ビルを地上4階、地下2階に建て替え、リングが3つと豪華なジムだった。オープン前に阿久津氏が急死して徐々に支援が縮小され、02年に現在の杉並区に移転することとなった。

03年に白井氏が死去し、12年の待望の世界王者は女子の山口、江藤はタイで世界王座奪取も暫定で認められず。苦難に厚い壁もついに悲願達成。故郷の英雄にあこがれ、多くの沖縄出身者が入門。世界挑戦した4人全員も、ウチナンチュー(沖縄の人)だった。

元世界王者の友利氏も同郷が縁でオープンからトレーナーになった。一時離れたが11年に復帰し、17年からチーフに。それが4月に突然退職を通告されて、SNSに「チーフなんかやるんじゃなかった」と記した。資金繰りが厳しいという理由。どこのジムも約2カ月営業自粛し、再開後も苦しい経営が続く。

それだけではない気がする。比嘉が減量失敗で王座剥奪に資格停止処分を受けた。二人三脚だった当時の野木チーフトレーナーは退職。ジムの歯車が狂いだし、次々と選手が移籍していった。顕著になったのは比嘉が再起戦で勝利も歯切れは悪く、ついにはジムと契約を解除となった。

週刊誌には夫人の口出しが要因とも書かれた。その裏には具志堅会長の姿勢もあったのではないだろうか。今やボクサーではなくタレントの顔の方が有名なほど活躍する。この稼ぎをジム運営に注いでいたとも聞くが、身の入り方がもう1つだったようにも見えた。

比嘉の減量失敗も懸念されていたことで、管理が甘かったことは確かだ。江藤がタイで世界暫定王座に挑戦した時のこと。成田空港へ出発取材に行くと、たった1人だったのにびっくりした。具志堅会長が「潮時」とも記した、丸25年の節目での決断だった。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

18年4月14日、1回目の計量で900グラムオーバーとなりうなだれる比嘉(左)は具志堅会長から声をかけられる
18年4月14日、1回目の計量で900グラムオーバーとなりうなだれる比嘉(左)は具志堅会長から声をかけられる

日刊スポーツのバトル担当記者のとっておきコラム。プロレス、ボクシング、総合格闘技の現場からお届けします。

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