WBA世界スーパーフライ級王者河野公平(34=ワタナベ)が挑戦者の同級2位亀田興毅(28=亀田)を3-0の判定で破り、2度目の防衛に成功した。

 終盤10回を過ぎても、河野は鬼の形相でパンチを出し続けた。興毅が1発出せば、2発、2発出せば3発。ベルトを守る意地だった。「死に物狂いだった。最後の3回はこれで死んでもしょうがないと思って、人生かけていった」。ジャッジが最大8点差をつける完勝。勝利の瞬間、両拳を突き上げて喜びを表現した。

 序盤がポイントだった。2回、興毅にベルト付近へのボディーを浴び「ちょっと効いた」。だが、その後の連打がローブローと判断され、休息が許された。興毅も「あのジャッジで助けられなければKOで勝っていた」と悔しがったシーン。これが運命の分かれ道だった。再開直後に、中間距離から右ストレートを顔面にたたき込みダウンを奪取。続く3回には興毅がローブローで2度減点され、ポイントを大きくリードし、勝利につなげた。

 高校卒業後、入門書を読んで飛び込んだ世界。同時期に話題になっていたのがテレビで特集される「亀田3兄弟」だった。飛ぶ鳥を落とす勢いでスター街道を歩む6歳下の興毅を、常に意識してきた。対戦が決まって以降、何度も挑発を受け、言った。「相当なめられている。向こうはエリート、自分は雑草。何が何でも負けるわけにはいかない」。悲壮な決意を結果に変えた。

 興毅が試合後に引退を表明したことを伝え聞くと、しみじみ言った。「彼も崖っぷちだったと思う。試合前も挑発ですごく盛り上げていた。ここまで言うのか、って。でも、そういうつもりじゃないんだな、いい人なのかなっていう気持ちもあった」。初の海外での試合という厳しい状況の中で、河野が男を上げた。【奥山将志】

 ◆河野公平(こうの・こうへい)1980年(昭55)11月23日、東京・目黒区生まれ。東京・東亜学園高卒業後に入門書「6カ月でプロボクサーになる」を読み、18歳でワタナベジムに入門。愛称はタフボーイ。07年2月に日本、同年10月東洋太平洋スーパーフライ級王座獲得。右ファイター。166・7センチ。血液型A。