大相撲の第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務める北の湖敏満氏(本名・小畑敏満)が九州場所13日目の20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で急逝した。62歳だった。

 北の湖理事長は急逝した前日の19日まで、九州場所が行われた福岡国際センターで公務をこなしていた。初日から12日目まで報道対応し、角界やファンに向けてメッセージを送り続けた。常に願っていたのは、「土俵の充実」だった。

 北の湖理事長は連日、その日の取組などについてコメントを出した。大関戦が始まると同時に、福岡国際センターの1階にある理事室の奥で大相撲中継を見ながら報道陣に対応した。

 初日恒例の協会あいさつは、秋場所に続いて八角事業部長(元横綱北勝海)に代行させた。「ずっと(体調不良が)続いていたからね。古傷もあるし。腰が曲がらない。歩くのも大変だ、腰が丸くなっちゃってね。普通なら手術。でも手術はしたくないんだ。(手術して)悪くなった人もいるし。(あいさつなどで土俵に上がるのは無理で)高さがあるからね(土俵は)、怖いよね」と体調が良くないことを明かしていた。

 4日目は、白鵬が嘉風にあっけなく勝った。立ち合いから変化したようにも見えたが「体が勝手に反応したということ。自分では、そんな気持ちはなくても、体が反応しちゃうということは、それだけ不安定な気持ちがあったのだろう。変化ではない」と指摘。取組前の予想が当たることはしばしばあり、相撲を見る目は誰より鋭かった。

 10日目には、白鵬が栃煌山に猫だましを2度、繰り出した。これには厳しく言った。「横綱としてやるべきことじゃない。前代未聞じゃないの? 横綱でやった人はいないでしょう。連勝してもいい風に見られない。みんな(モヤモヤした)気持ちが残っちゃうでしょ。横綱はそういう風にみられちゃダメ」。単なるスポーツではない大相撲の伝統文化としての側面を重視していた。

 腰の痛みがあり、ハイヤーで会場についても、約2時間も降りられない日があった。それでも、報道対応は休まなかった。大相撲の人気回復に感謝し、その要因には「土俵の充実」と繰り返して、現場の力士を立てた。亡くなる前日の12日目、最後の言葉は優勝予想で「勝機は、7対3で白鵬」などと解説した。根っから大相撲を愛した人だった。