大相撲の最年長関取、安美錦(40=伊勢ケ浜)が現役を引退し、年寄「安治川」を襲名した。いかにして歴代1位の関取在位117場所にたどり着いたのか。その横顔を3回にわたって紹介する。1回目は、結婚で変わった人生観に迫る。

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安美錦が結婚したのは13年4月。34歳の時だった。前年12月、日馬富士横綱昇進披露パーティーで後援者から紹介された。交際2カ月未満の初場所後に求婚し、2月に婚約発表した。

当時、結婚を喜びながらも、相撲と結び付けられることを嫌った。「結婚したから勝ったとか負けたとか言われたくない。関係ないから。現役でいるうちは、相撲については好き勝手にわがままにやらせてもらう」とまで言っていた。

ところが…。妻絵莉さんの献身により、少しずつ考え方が変わっていった。

「自宅に炊飯器もなかったらしいよ」と言う妻が料理を学び、アスリートフードマイスターの資格を取得。自宅での食事には10品目以上が並んだ。地方場所になると、定期的に食事をチルドパックで送ってくれた。一緒に闘ってくれていることを実感した。

独身時代の安美錦は、女性にもてた。外食が多く、好きなものを好きなだけ食べた。栄養バランスなんて気にしなかった。若いうちはそれでよかった。

結婚後、野菜を食べることが増え、1年もしないうちにその効果を目の当たりにした。朝の目覚めがよくなり、血液検査の数値がことごとく良化した。

以来、節目の勝利、節目の記録を達成するたび、妻や家族への感謝を口にするようになった。結婚してから初の金星、結婚後初の三役…、「結婚後最初の○○」にこだわるようになった。

3年前の5月にアキレス腱(けん)を断裂してからは、回復のためになる病院、治療院などを聞き付けては妻の運転で全国を回った。巡業や地方に行っては、テレビ電話で話す子供の顔が癒やしになった。

「いろいろあった。アキレス腱を切ってからは、嫁さんは特に大変だった。だから結果を出すしかないと思ってやっていた」

結婚前、仕事と家庭を切り離すつもりだった男は、すっかり考え方を変えていた。

「変わったね。土俵に立つのは自分だけど、それを支えてくれた。何回もけがをして、こんだけやってくれた。子供が3人生まれて、子育てだけでも手いっぱいなはずなのに、俺のことにも手をまわしてくれた。一緒に闘っていた。むしろ、妻は土俵に上がっていない分、自分よりも苦しかったと思う。嫁さんは自分が勝った負けたじゃないから。俺よりつらい思いをしたんだろうな。(考えは)変わりました。こんなに力になるんだな、家族が、子供が」

記録にも記憶にも残る安美錦。人間の幅を広げた末に、この場所にたどり着いた。【佐々木一郎】