TBS系ラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、来月5日に1998年(平10)4月6日の放送開始から6000回目の放送を迎える。パーソナリティーを務めるフリーアナウンサー生島ヒロシ(70)が歩んできた軌跡を「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して振り返る。

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アメリカ留学上陸の地、ハワイで知り合った日本人パーサーに誘われてサンフランシスコに渡りました。だけど、その人がどうやらゲイらしく、ホテルをこっそり逃げ出しました。重いかばんを背負って、サンフランシスコの急な坂道を上ってね。今、思うと、よく1人で空港まで行けたなと思いますね。

そこから、連絡先だけ知っている友達の先輩の友達、つまり全くの他人を訪ねてロスに向かったんです。激動ですよね。ハワイからシスコ。シスコからロス。これ全部、1日のできごとですよ。1日でハワイ、シスコ、ロスと移動したわけですよ。若気の至りというか、何というか(笑い)。

ロスの空港でJALのカウンターに行って、なんとか必死に頼み込んで、渡辺さんというファミリーと連絡が取れました。ファミリーで移住しているんですけど、向こうも当惑しているんですよ。でも「とにかく分かった。来なさい」と言ってくれました。どう行くか聞くと、ディズニーランド行きのバスに乗って、終点まで来いと。そこからタクシーに乗ればすぐだからと。

住所だけを頼りに「それで行けるんですか」って聞くと、「大丈夫、こっちは道が真っすぐだから」って。バスに乗っている間、黒人の運転手さんの後にピッタリくっついて、停留所に着く度に「ディズニーランド?」って聞いてね(笑い)。不安でしたからね。ロスの郊外のアナハイムまで、何時間もかかったんですよ。途中、貨物列車が通って踏み切り待ちが何十分もありました。みんな日光浴したりね。もう信じられないですよ。僕なんて、バスから1歩も降りられなかった。

終点のディズニーランドに、やっと着いた時は、夜になってました。タクシー乗ろうと思った時に、白人が2人、バッと来て「ライドシェア(乗り合い)をしよう」と。怖いし、何があるか分からないから「やだやだ、ノー・サンキュー」って言って。で、タクシーに乗ったら街並みが碁盤の目なんですよ。オレンジカウンティーっていう街なんだけど、ピタッと寸分狂いなく着きました。

それで、渡辺さんの家に入った途端にお通夜みたいな雰囲気なんですよ。誰が来たんだよ、って感じで。その日の夜のうちに「君みたいに、こちらにいる皿洗いをやっている子と、キヤノンの駐在の人がアパートをシェアしているから、そこにしばらくいて仕事を探したら」なんて言われてね。で、その夜のうちにたどり着くんですけど。強烈な、僕にとって一番長い日でした。

アパートって聞いてたんだけど、行ってみたらすごい。僕は東京で「十条に住んでも3畳間」っていうところに住んでたから(笑い)。プールはあるは、ディッシュウオッシャー、乾燥機も全部あるんですよね。食洗機も驚いたけど、キッチンにディスポーザーがあった。生ゴミは全部そこにバーッと流すんです。

そんなのが全部、1971年(昭46)のアメリカの現実。それを見た時に驚いちゃって。別世界ですよ、50年前ですから。それを体験したら、アメリカ留学の4年間で自信がつきました(続く)。

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。

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