「お元気ですか」などのヒット曲で知られるタレント清水由貴子さんが21日午後1時30分ごろ、静岡県内にある冨士霊園で亡くなっているのが発見された。49歳だった。父親の眠る墓石の前で倒れており、硫化水素を吸い込んで自殺したとみられる。そばには車いすに座った母親がおり、衰弱していたものの命に別条はない。独身だった清水さんは06年3月、母の介護を理由に長年所属した事務所を辞めており、芸能界から事実上引退していた。長年にわたる母の介護疲れが、清水さんを自殺に追い込んでしまったのだろうか。

 太陽のように輝く笑顔が魅力だった清水さんが、冷たい雨に打たれ、亡くなっているのが見つかった。

 御殿場署や消防関係者などによると「女性が倒れている」と霊園職員が21日午後1時30分ごろ119番通報した。署員が駆けつけると「清水家」と彫られた墓前で、コートにズボン姿で靴をはいた清水さんが横向きに倒れていた。近くには身分証、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」などと書かれたA4判の紙2枚とノートがあった。

 砂利を敷き詰めた地面と顔の間には、20リットル容量の黒いポリ袋があった。袋の中には洗面器と洗剤などの入った複数の容器があり、中には合わせると硫化水素を発生する溶剤が入っていた。死亡推定時刻は20日午後5時ごろとみられ、死後硬直がかなり進行していた。清水さんは20日、タクシーで霊園に向かったとみられる。

 また、清水さんの側には、母親とみられる車いすに座った80歳ぐらいの女性が雨に打たれていた。清水さんの母親は生まれつき身体が弱く、糖尿病と腎臓病を長年患っており、入退院を繰り返す生活を送っていた。女性は一昼夜を清水さんの遺体とともに過ごしたとみられる。衰弱していたものの外傷はなく、意識もしっかりして、消防署員に名前や住所などを話したという。御殿場市内の病院に搬送され、清水さんの8歳下の妹が病院に駆けつけた。

 清水さんは小3の時に父を亡くした。家族3人の母子家庭で経済的に恵まれない環境で育った。生活保護を受け、高校も奨学金制度を受けて通学。歌手を志した動機を「お金をたくさんもらえるんじゃないかと思ったから」と話したこともある。高校在学中にタレントスカウト番組「スター誕生!」に応募。76年にピンク・レディーを抑えて、16回目のグランドチャンピオンに輝いた。

 翌年に「お元気ですか」で歌手デビュー。日本歌謡大賞新人賞などの新人賞を総なめにする鮮烈デビューだった。同期の高田みづえ、榊原郁恵と「フレッシュ3人娘」として大きなブームを巻き起こした。その後は萩本欽一率いる「欽ちゃんファミリー」の一員として活躍。小西博之(49)とデュエット曲「銀座の雨の物語」を欽ちゃんプロデュースで発売したこともあった。94年には念願だった推定1億円の自宅を都内に新築。「幸せです」と声を弾ませていたが、06年3月には母親の介護を理由に所属事務所を退社した。母親の糖尿病が進行して視力がかなり落ち、そばを離れられなかったようだ。事実上の芸能界引退状態で、以後は介護を中心にした生活を送っていたとみられる。

 長年にわたる介護の疲れが、両肩に重くのしかかったようだ。相談する人はいなかったのか。清水さんは、父の墓前で母親の横で自ら命を絶った。

 [2009年4月22日8時41分

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