今年は明治維新150年。盛り上がっているのは、倒幕の立役者となった薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)のお膝元だけではない。栃木県北部にある日本最大級の扇状地「那須野が原」は、明治新政府の高官たちが、人も住めないような荒れ野を開拓して農場を造った。その開拓物語「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫潭(ろまんたん)~」は今年5月、文化庁の「日本遺産」に認定された。一大観光施設の発展の裏には、歴史とロマンが込められていた。
那須地区に年間1400万人もの観光客が訪れるなどと、明治新政府の高官たちは思っていただろうか。150年前の那須野が原約4万ヘクタールのほぼ4分の1は、人も住めない原野だった。維新とともに身分を失った武士を救済する「士族授産」、政府が目指した「殖産興業」策で、疎水が整備され、農場が開拓された。
私財を投入して手掛けたのは、大山巌(薩摩藩=陸軍大臣)西郷従道(同=海軍大臣)青木周蔵(長州藩=外務大臣)山県有朋(同=内閣総理大臣)ら。現存する中で最も有名なのは、旧薩摩藩士で内閣総理大臣も務めた松方正義が開拓した、那須塩原市の千本松牧場(当時の名は千本松農場)だろう。
東北道西那須野塩原インターから車で約2分。東京ドーム178個分に当たる834ヘクタール(当時の約半分)の敷地に、500頭の乳牛などがいる。国内外から多くの人が訪れる観光牧場で、ソフトクリームやバーベキューを味わい、温泉にも入れる。レジャー施設なのに、地面を10センチも掘れば、大小多くの石が出る。
藤本敦本部長(57)は「肉やソフトがうまいとアップされるのもうれしいが、開拓に携わった人たちの苦労も知ってほしい。今も2~3月に社員総出で石を拾うと、10~20トンにもなる」と、地層が見える場所で話した。奥まったところに、松方別邸がある。赤松が多く自生していたから、松方が「千本松」と名付けた。羊の群れが草をはみ、のどかな光景だったという。
また、同市の旧青木家那須別邸は、道の駅「明治の森・黒磯」内にある。山林経営が中心だったという。古い洋館のたたずまいは、ロマンを感じさせた。
元勲たちの大規模農園にかけた思いは、市内で今も受け継がれる。1882年にブドウ栽培を始めた「渡辺葡萄園醸造」は、大規模農園の発展とともに、ワイナリーが必要との思惑と合致した。メルローなど10品種、約1万5000~2万本のブドウが植えられている。原料を吟味して醸造できるというのが強みだ。
隣の那須町にある「那須高原今牧場チーズ工房」は、旧満州からの引き揚げ者たちが1947年に入植。牛1頭で酪農を始めた。ヤギの乳からできるチーズ「茶臼岳」は、今月から日本航空国際線のファーストクラスで提供されている。搾乳場から3メートルと近いチーズ工場までパイプでミルクを送る。「6次産業化して那須のチーズを広めたい」と高橋雄幸さん(39)。
ほかにも同町にある「休暇村那須」「那須高原友愛の森 なすとらん」など6店では、それぞれ趣向を凝らした「那須の内弁当」が1300円の統一価格で提供。地元の農畜産物が盛り付けられている。
明治時代、国の基幹産業だった農業は、時代とともに業態を変化させている。那須野が原の知られざる歴史は、観光や食にまで発展し、今日もリゾート客を迎えている。【赤塚辰浩】