ヒロシマから東京へ、そして世界へ-。東京五輪の聖火リレーで、原爆ドーム(広島市中区)前の元安川を日本泳法で泳いでトーチをつなぐ“聖火スイマー”に選ばれた広島市の会社員で被爆2世の河本明子さん(50)が13日、同所で行われた寒中水泳大会に参加した。5月18日には原爆ドーム前で聖火を受け継ぎ、元安川の対岸まで泳いで渡って聖火をつなぐ。大役に「被爆者の方のことを思いながら泳ぎたい」と語った。

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原爆ドーム前を流れる元安川。午前9時30分、気温12度、水温11度。暖冬とは言え、川の水は冷たい。“聖火スイマー”の河本さんが、ゆっくりと入水した。川の中央へ進み、扇を足の指に挟んで回す日本泳法の妙技「扇返し」に、観衆から「あっぱれ!」の声援が飛んだ。泳ぎながら和傘を回す「諸手(もろて)日傘」も披露した。

「非常に緊張しましたが、気持ちよく泳がせていただきました」。河本さんが所属する日本泳法「神伝流広島游泳(ゆうえい)同志会」の寒中水泳大会は広島の冬の風物詩。小学校の高学年からほぼ毎年、参加しているが「今年は特別な思いがありました」と話した。

平和の祭典の聖火リレーでは大役を担う。5月18日、原爆ドーム前で聖火を受け継いで元安川を渡る。主に脚を使った技法「あおり足」で、顔を水面から出し、手に重さ約1・2キロのトーチを持って約50メートル先の対岸まで泳ぎ切り、聖火をつなぐ。

広島市東区で生まれ育った河本さんは被爆2世。被爆した父や祖父母から「原爆投下直後に多くの人が水を求めて元安川に集まった」と聞かされてきた。元安川は「被爆者がたくさん命を落とされた、私にとっては特別な川です」。昨年1月、父馨(かおる)さんが83歳で亡くなった。生前の口癖は「『しっかり浴びているからがんで死ぬんだ』でした。結局、がんを患いました」。もし父が生きていたら大役のことを「きっと、特別な思いで聞いてくれたと思う」。

小学校のとき、通っていた水泳教室の先生が見せてくれた日本泳法の所作の美しさに魅了され、約40年続けてきた。本番に向けて「被爆2世として被爆者の方のことを思いながら真っすぐ前を向いて泳ぎたい」。ヒロシマから世界へ、平和の願いを伝える。【松浦隆司】

◆日本泳法 武芸の1つとして古くから伝わり、海や川など多様な自然環境で、長距離泳、水中戦闘のためなど目的別にさまざまな泳ぎが生まれた。現在、国内に13の流派があり、速さを競う目的ではなく、実用目的の泳法として救助法などに用いられている。河本さんが所属する神伝流は約400年前に愛媛県で始まり、190年前に広島へ伝わったとされる。