02年ジャパンCなど、5カ国でG1・8勝を挙げたファルブラヴが12日午前11時半ごろに死んでいたことが13日、分かった。26歳だった。同馬は14年を最後に種牡馬生活から離れており、けい養先の社台スタリオンステーション(北海道安平町)にて、功労馬として余生を送っていた。

98年生まれの同馬はイタリアで調教され、00年9月にサンシーロの未勝利戦でデビュー。若き日のM・デムーロ騎手とコンビを組み、初勝利を挙げた。その後は伊ダービー2着など、順調にキャリアを積み、02年イタリア共和国大統領賞でG1を初制覇。続くミラノ大賞でG1を連勝。同年秋に行われた中山開催のジャパンCでは1番人気シンボリクリスエス(3着)などを抑えて、9番人気で優勝した。

その後、社台ファームの吉田照哉代表が同馬の所有権を購入。L・クマーニ厩舎へと移籍した03年は欧州と香港を転戦した。イスパーン賞、エクリプスS、英インターナショナルS、クイーンエリザベス2世S、そして香港Cと1年間でG1を5勝し、カルティエ賞の最優秀古馬に選出。引退後は社台スタリオンステーションにて種牡馬入りした。

種牡馬時代はシャトル種牡馬としてオーストラリア、英国へも渡った。産駒のG1勝ちこそなかったが、重賞4勝馬アイムユアーズ、重賞2勝馬トランスワープを輩出。母父としてマイルCS優勝馬ステルヴィオ、桜花賞馬ハープスターを出した。

社台スタリオンステーションの徳武英介場長は「きのうの11時半ごろに亡くなりました。老衰ですね。疝痛(せんつう)も少し出ていたみたいで、年末から調子を少し崩していました。寒かったのもありますから。産駒も頑張ってくれましたし、母父としてもいい馬を残してくれました。牧場には吉田照哉さんの勝負服を着たデットーリさんが(同馬の)最後のレースになった香港Cのレース後に『デットーリジャンプ』をしている場面の写真が飾ってありますよ」と思い出を語った。