東京五輪2冠の橋本大輝(22=セントラルスポーツ)が2連覇を逃した。6種目合計84.598点で6位だった。

苦しみの方が多かった東京以後の3年間だった。「苦しかった、いろんな意味で。体操がちょっとやりづらいなというか。前はこれぐらいできてたのに、なんかできてないんじゃないかなとか思ってしまったり。過去の自分とも比較したり」。大きく分けて2つの理由があった。

1つは演技構成。東京以後にルールが変わり、最適解を見つける構成を探すのに苦戦した。高校3年間で爆発的に技を覚えた延長線上に母国五輪での最年少優勝はあったが、パリまでは取得より選択の時期となった。「強くなるために必要だった技が、世界一になるためになった」。新ルール下で意識をガラッとかえる必要があった。それが「成長が止まったのでは」という自問を生んだ。

もう1つは「内村航平」の存在だった。22年に引退した世界の体操界のレジェンドは数々の記録を残した。橋本が優勝を重ねても、「内村以来」という枕言葉がつく。敬意を持ちながらも、五輪王者としてどのように、その事象に向き合えば良いのかは悩み深かった。

「霧が晴れた」と表現した瞬間が訪れたのは23年秋だった。全日本団体選手権を終えると、予兆があった。「試合が終わったらいつもぐだって一気に疲れがきちゃうんですけど、疲れがあんまり出なくて、体の調子もよくて、『もしかしたらこれすごい冬場いい練習できるかも』って思って」。実際、冬場の鍛錬期は「頭が急にさえたように」体も動き、コントロールできた。「考えてるのに考えてないように、思うように体が動くようになりました」と振り返る。構成の答えも見え始めていた。

同時期に、1つの進言が重なっていた。「おれの背中を追いかけなくていい。大輝は大輝」。TVで対談した内村さんに、意を決して悩みを打ち明けると、そう返された。意識する事で肩に力が入っていた自分を見つめ返した。「気負わずに自分の演技をしたい。楽しくできていることを忘れずにやっていきたい」とパリ五輪が控える24年を迎えていた。

29日の団体決勝では東京で銀メダルに終わった悔しさを晴らす金メダルを獲得していた。