17日に開幕する小倉F2で栗田雅也(43=静岡)がラストランを迎える。

南関ラインに先行型が手薄だった2000年代、栗田は貴重な機動型として特別競輪でフル稼働した。主な戦歴では、09年観音寺、12年の川崎(花月園メモリアル)と、2度のG3優勝がある。

爆発的なタテ足がありながら、位置取りに難があったため、大勝と大敗を繰り返す。そんな豪快さがある意味では魅力だった。自在スタイルへの転身にもチャレンジしたが、やはり最後まで“のるかそるか”の走りが栗田の醍醐味(だいごみ)だった。

30代の後半からはたびたび、大きなけがに泣かされた。15年平塚G3の落車では生死をさまよった。今だから笑い話になったが、落車直後、胸毛が邪魔をしてAEDが装着できず、医務室がパニックになったそうだ。

栗田雅也はいつも天真爛漫なキャラクターだった
栗田雅也はいつも天真爛漫なキャラクターだった

真っすぐ性格で、時に機嫌をこじらせることもあった。記者と距離を取るようになった時期に、その理由を聞いてみると、こう語った。「だっていい時しか来なくて、弱くなったら寄ってこないじゃないですか」。しかし、基本的にはいつも明るい裏表のないキャラクターだった。

兄弟子の渡辺晴智は、「栗田は天才。南関で抑え先行をやらせたら、栗田の右に出る者はいなかったよ。俺の周りの雅也という名前の男は天才肌が多かった。息子にその名前をつけたのも、栗田雅也が50%は影響しているんですよ」と才能を高く評価していた。

兄弟子の渡辺晴智は栗田雅也の才能を高く買っていた
兄弟子の渡辺晴智は栗田雅也の才能を高く買っていた

その晴智が小倉に同時参加する。「今年は同期の村上(義弘)も辞めたし、寂しいよね。送別会開催だから、しっかり盛り上げたい」と、その目に弟弟子の勇姿を焼き付ける。【松井律】