武田支部長、頼んます! 明日19日から福井県・三国ボートで「開設63周年記念 G1北陸艇王決戦」が開催される。山崎智也、松井繁、田中信一郎らの強力遠征勢を、今垣光太郎、中島孝平ら地元5人衆が迎え撃つ。今回は、地元福井支部長の武田光史(42)に独占インタビュー。支部長の仕事、周年に懸ける思い、「三国愛」に至るまで、たっぷりと語ってもらった。

 -いよいよ三国周年。福井支部長として先頭に立ってほしい。最近の調子は

 武田光史 悪くないです。2月の近畿地区選は優勝戦に乗った。3月の戸田周年も準優に乗った。

 -地区選は優出4着。勝っていればクラシックに行けた

 武田 福井から5人(今垣光太郎、中島孝平、石田政吾、萩原秀人、松田祐季)出場が決まっていた。本当に優勝したかった。「絶対一緒に行ってやる」と思っていた。ただ、近畿強いもん(笑い)。優勝戦も俺がいなかったらSGメンバー。俺、なんでここにいるんやろって(笑い)。

 -昨年3月の三国周年を振り返って。予選をトップ通過。準優2着。優勝戦は4着。G1初優勝まであと1歩だった

 武田 あの時は、予選ラストの1枠で、松井繁さんにインを取られた。でも、2コースから0台でまくった。それでトップになった。うれしかったね。でも準優は1枠でスタートを放った。「支部長」というのが頭にあったのかも。あっ、満足と思ったのかもしれない。悔しいよ。地元の周年を一番取りたいんよ。僕は初1着、初優出、初優勝が全部三国。地元への思い入れはすごく強い。どこで負けてもいい。ここで勝ちたい。去年は9月も三国周年があった。その時はF2で勝負できなかった。

 -福井支部全体の流れはどうか。今垣光太郎はクラシックでフライングを切った

 武田 光ちゃん(今垣)は芦屋周年で優勝。Fは残念やったけど、グランプリ行くために地元で頑張らないと。へこたれないでほしい。孝平も萩原も結果を出している。政吾は同期やし。僕はクラシックの5人に付いていかないと、先がないと思っている。福井支部は熱いですよ。

 -武田選手は福井支部長。具体的に仕事はどのようなものか

 武田 支部長は支部員を守るのが仕事。あとは、選手会の各種委員会がある。ペラ制度などの競技関係、お金に関する事項など、それぞれに委員会がある。選手会と支部員をつなぐ役割ですね。他にも対競走会、対施行者さん、いろんな調整役をします。

 -いろんな仕事をしながら、支部員を守る。忙しそう

 武田 若い子はなかなか勝てない。勝率の問題がある。4期通算(※1)があるから、大変な選手もいっぱいいる。自分が支部長の時に、誰もやめさせたくない。例えば、自分の弟子だけど、117期の中山将太は津でオール6着。食わせないと。彼にも生活がある。厳しい。それをはっきり分からさないといけない。練習環境も各支部によって違う。いかに若い子にいい環境を与えてあげられるか。支部長同士が話し合って、他支部の若い子と交流できるようになれればプラスになる。

 -支部長をやっていることで、レースに影響は

 武田 支部長になってから、負けられん、という気持ちが強くなった。だから去年GW、お盆と三国で続けてフライング切ってF2になった。支部長だから(スタートを)降りる、というのは自分の中にはない。でも、去年の三国周年は準優1枠で放った(コンマ20)。悔しいよ。大阪支部長の田中信一郎さんが、高松宮記念、太閤賞を勝った時は、本当にうれしかった。田中さんは「支部長しながら賞金王になってやる」って言っていた。その気持ちがすごい。ただ、周年は俺も戦いにいくけど、地元の選手が一番優勝に近いところにいてほしい。大阪支部長には、いけい(でかい)顔させんよ(笑い)。

 -そもそも、なぜボートレーサーに

 武田 三国ボートの近くに家があった。自転車で行ける。家にいてエンジン音が聞こえた。それでかな。

 -武田選手は、やまと学校ではなく、本栖研修所(※2)で訓練を受けた

 武田 高校卒業して、親がなけなしの金で買ってくれたスーツ着て、丸刈りにしていった。厳しかったなあ。とにかく寒かった。ある時、僕がこけて、右肩のあたりをけがした。氷点下なのよ。けがしてるのよ。それでも乾布摩擦をしなきゃいけない。ある時は教官に、氷点下の水面に落とされたりもした。

 -石田政吾選手は同期だが、意識はしたか

 武田 政吾は優等生。自分は劣等生。負けたくなかったね。部品庫というのがあった。エンジンの大事な部品が入っている。部品庫を預かる人間は教官のお気に入り。政吾は部品庫の担当。僕は全然、関係ない乾燥室の係。汗臭かった~(笑い)。僕は掃除場所も悪かったかもなあ。担当が僕と大神康司、深川真二。同じ匂いがするやろ。みんな顔がいかつい(笑い)。

 -本栖は富士山のふもとにある。いかにも寒そう

 武田 朝6時に起床のブザーが鳴る。走って靴はいて、外に1歩出たとたんにツルーって滑って、どーんとなる。転んで点呼に間に合わない人もいる。水面も凍る。氷を割るために、乗りにいく。溶けるのを待たない。で、戻って来てカポックを振ると、氷がバラバラ落ちる。そんな時代やもん。本栖湖1周すると12キロある。1周マラソンもあった。外出は当時、1年1回だった。甘いものが欲しかったなあ。食事で出るジャムパンが楽しみで、盗んでくる(笑い)。

 -過酷な状況の中で本栖チャンプに

 武田 最後は1週間水だけで生活した。49・8キロにした。優勝して、喜びは大きかったね。

 -プライベートの時間は

 武田 飲んでます(笑い)。焼酎も好きやけど、何でも飲む。日本酒も洋酒も。酔わない程度に。でも酔っぱらう(笑い)。飲むのは芦原辺り。1人では飲まない。三国は優しくていいところ。俺が後輩に優しくない(笑い)。俺は三国で生まれ育って、俺がこんなに酔えるのも、大将たちがいるから(笑い)。

 はんなり鮨の大将 武田さんは優勝したら、ここでべろべろになるけど、他の店に寄って帰る。地元報告というのがあるんやわ、この人は。地元愛やね。飲み屋街の人気者なんや。

 -厳しく接した弟子はみんな成長している

 武田 金子貴志、松村康太、中島孝平、土山卓也、今日一緒に来た中山将太。土山は2回丸刈りにさせた。いっぱい泣かした。2期連続A級になれば、結婚を許そうと思っている。中山は、正月に非常識なF(※3)を切ったから丸刈りにさせた。近所の散髪屋に行く。「武田さんに言われて来た」と言えば、バリカンが出てくる(笑い)。僕はA級になったら弟子を放り出す。次は対決やから。だって、自分だって勝ちたいもん。中島孝平が一番伸びた。通り越しちゃった。付いていくのに必死よ。自分ももうひと花咲かせないと。

 -親分肌とよく聞く

 弟子の中山将太 武田さんは親分肌です。飲んでない時は、僕のレースのDVDを見て指導してくれる。毎節です。テクニックよりもメンタルを説く。

 -子どもさんは、ボートレーサー志望か

 武田 社会人の娘と高校生の男の子がいる。息子にはレーサーを目指してほしかった。でも、高校野球をやっている。家族は僕のレースは全然見ない。ある意味、弟子が子どもですね。

 -最後に抱負を

 武田 三国周年の優勝者に名を残したい。

 ※1 4期通算 4期通算勝率が3・50未満の選手は、選手会から退会勧告の対象となる。なお、1期(半年間)で50走を超えなかった場合は、次の級別期間以降と合算する。また、デビューから6期目までの新人はこのルールの対象外となり、通算勝率の計算は7期目以降からになる。

 ※2 本栖研修所 山梨県の本栖湖にあったボートレーサー養成所。本栖湖の水位の変化が激しくなり、選手養成課程に影響を与えていたため、01年3月、福岡県柳川市に移転した。現在の名称は「やまと学校」。

 ※3 非常識なフライング 13年11月から適用された罰則規定。日本モーターボート競走会が、スタートタイミングがコンマ05以上のフライングを「非常識なF」と定義。該当した選手は原則として即日帰郷となる。なおグランプリ、クイーンズクライマックスには適用されない。

 ◆武田光史(たけだ・みつふみ)1973(昭48)年9月13日、福井県生まれ。93年5月、72期生として三国一般戦でデビュー。初優勝は95年9月の三国一般戦。通算優勝は33回。G1は優出5回で優勝なし。SGは10年5月の浜名湖オールスターで初出場。同期は石田政吾、浅田千亜希ら。169センチ、56キロ。血液型B。