ビジネス先駆けペレ氏来日時の通訳務める/越後列伝

18歳のブラジルの新星ビニシウスが先月に来日、時計メーカーのイベントに出席し、同メーカーのPRに一役買った。今やサッカー選手はスパイク使用契約はもちろん、サッカーと関係ない企業と契約し、広告などに出演する。ネイマールやメッシ、ロナウドら、年俸同様に高額な副収入を得る選手も多い。

セルジオ越後氏(73)がコリンチャンスに所属していた頃は違った。まだテレビなどマスコミが普及していないから、広告ビジネスも進んでいなかった。まさに「サッカーだけで飯を食う」時代。実力以上に人気先行の選手がいたり、クラブがユニホーム販売などマーケティングを考慮して選手を獲得する現状に、皮肉を込めて「人気は関係ない。実力だけの競争。それは本物だった」と同氏は振り返る。

ただ、プロはスパイクや練習着などをクラブから支給され、ホペイロ(用具係)に手入れ、管理してもらえた。ユースでも将来有望な選手は“プロ扱い”で、「お金になる者にはお金をかける」「原石を磨いて、商品にして売る」というのがクラブの考え方。サポーターからの基金で自前のスタジアムをつくり、それを担保に銀行から融資を受け、高額な選手を集めて強化する形もあった。

選手がCMに出たり、サッカーがビジネスに発展するきっかけは、75年に「王様」ペレがスポーツビジネスの先進国だった米国のニューヨーク・コスモスでプレーしたことだと、同氏は語る。84年、釜本邦茂の引退試合が東京で行われ、ペレも来日した。その時に通訳を務めたのがセルジオ越後氏だった。

◆セルジオ越後 ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世で、18歳でブラジルの名門コリンチャンスとプロ契約。同国代表候補にもなった。72年に来日、藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。78年から「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、延べ60万人以上を指導。その経験から「セルジオ越後の子育つ論」など子育て本も出版。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。17年旭日双光章を受章。H.C.栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。