サッカー界の歴史に残る名選手でもワールドカップ(W杯)トロフィーを手にできない選手は数多い。特に「W杯前年のバロンドール受賞選手は、翌年のW杯に優勝できない」という“バロンドールの呪い”はいまだ健在。56年に始まった同賞でW杯前年の受賞者は15人(計16度)いるが、今大会のロナウド(ポルトガル)を含め、誰も呪いを打ち消せてはいない。

<W杯前年の主なバロンドール受賞者>

 ◆ディステファノ(スペイン) Rマドリードでクラブ歴代3位307得点。欧州CL前身の欧州チャンピオンズ杯で5連覇し57、59年バロンドール受賞も、けがなどでW杯は未出場。

 ◆エウゼビオ(ポルトガル) 「黒ヒョウ」。65年バロンドール。翌66年のW杯は初出場で9得点し、得点王に輝くも3位。

 ◆リベラ(イタリア) 元祖ファンタジスタ。「超頭脳」。68年欧州選手権優勝、69年バロンドールも、4度出場したW杯最高はブラジルに敗れた70年2位。

 ◆クライフ(オランダ) 「空飛ぶオランダ人」。背番号14。71、73、74年とバロンドールを3度受賞も、W杯は74年決勝で西ドイツに敗れて準優勝。

 ◆プラティニ(フランス) 「将軍」。83年からバロンドール3年連続受賞。84年欧州選手権初優勝に導くも、W杯は78年から3度出場し、86年3位が最高。

 ◆ルンメニゲ(西ドイツ) 「ミスター・ヨーロッパ」。80、81年とバロンドールに輝き、W杯は78、82、86年と3大会連続出場。だが準優勝2度。前後の優勝に挟まれた悲運の闘将。

 ◆ファンバステン(オランダ) 88、89、92年バロンドール。88年欧州選手権優勝。フリット、ライカールトとのオランダトリオは強烈だったがけがに泣き、W杯出場は90年16強のみ。

 ◆R・バッジオ(イタリア) 「イタリアの至宝」。93年バロンドール。W杯は90年から3大会連続出場。史上初のPK戦となった94年決勝は、最後に自身が外してブラジルに敗れた。