世界各国のメディアが、サッカーの王様の死を大々的に報じた。元ブラジル代表で母国をFIFAワールドカップ(W杯)で3度の優勝に導いた「王様」ペレさんが29日、サンパウロ市内の病院で死去。82歳だった。英メディア「SUN」はペレさんの歩みを紹介した。

生まれはブラジルの亜熱帯地方である南東部ミナスジェライス州トレスコラソンエス。生まれた時期に、町にちょうど電気が通り、アメリカの発明家トーマス・エジソンにちなんで「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」と名付けられた。

父はプロサッカー選手だった。だが、負傷でキャリアを絶たれ、一家は貧困に陥った。ペレさんは、後に「次の食事はどこから来るのだろう」という絶え間ない不安に襲われたことに触れ「あの恐怖は、一度骨身に染みついたら、寒気のように離れないものだ」と回想している。

ペレさんは路上で、新聞紙を詰めた靴下やスイカを使ってサッカーをしていた。その後、父から両足の使い方や正しいヘディングの仕方を教わった。

ビッグクラブのサントスにスカウトされ、1956年に15歳でデビューした。

57年にブラジル代表にも招集され58年、スウェーデンで開催されたFIFAワールドカップ(W杯)で6得点を挙げ、ブラジルを優勝に導いた。ペレさんは「スウェーデン人の女の子は、僕の皮膚がはがれないかずっと触っていたよ」と振り返っている。世界的なスーパースターになった証しだった。

70年のW杯メキシコ大会で、優勝候補のイングランド戦は歴史に残る壮絶な試合となった。ペレさんは、フリーの状態で強烈なヘディングシュートを放ったが、当時のイングランド代表GKゴードン・バンクスが反応。好セーブにあった。後に「私は人生で1000以上のゴールを決めたが、人々がいつも私に話すのは、ゴールを決められなかったゴールのことだ。私が今まで見た中で最高のセーブ」と回想している。イングランドに1-0で辛勝したブラジルは、決勝でイタリアを4-1で撃破。ペレさんのヘディングシュートが快勝への号砲だった。

ペレさんは、70年のW杯優勝から1年後、代表から引退した。その後、サントスでリーグ優勝6回、チャンピオンズリーグに相当するコパ・リベルタドーレス優勝2回を達成。75年にはニューヨーク・コスモスに移籍し、2年後に現役を退いた。

私生活では1966年に最初の結婚をし、82年に離婚。94年に心理学者の女性と結婚し、96年に双子をもうけたが、08年に離婚した。16年、75歳で再々婚している。