日本(FIFAランキング18位)が3大会連続の決勝トーナメント進出を懸けて、最終の第3戦でスウェーデン(同38位)と対戦する。W杯では初となる顔合わせ。両国の間にあった縁を振り返れば、世界最高峰の舞台で運命的な再戦となる。

90年前-。日本は1936年(昭11)のベルリン大会で、五輪(オリンピック)初出場を果たした。当時は1次リーグがなく最初からトーナメント制。その1回戦で、優勝候補筆頭だったスウェーデンに3-2で逆転勝ちした。

前半に2点を先行されたものの、川本泰三、右近徳太郎、松永行のゴールで大番狂わせを起こし、世界に「ベルリンの奇跡」と打電された。

2回戦では、後に金メダルを獲得するイタリアに0-8の大敗を喫していただけに、まさに「大金星」と言えた実力差。敗れたスウェーデンは、首都ストックホルムへ屈辱の帰還を余儀なくされた際、タマゴやトマトを投げつけられたという。「僕はリザーブだったから勘弁して」とビラを書いて回避した選手もいた。

第2次世界大戦の後、最初の五輪でスウェーデンは溜飲を下げた。48年のロンドン大会で金メダルをつかんだ。しかし「ベルリンの屈辱」は忘れることができなかった。

51年、同国強豪クラブのヘルシングボリが日本に遠征することになり「やっと1936年の雪辱を果たす機会が訪れた」と燃えていたという。

国際大会から除外されていた日本スポーツ界にとっては、戦後初の対外試合。日刊スポーツも51年(昭26)11月23日付の1面で「瑞典(スウェーデン)サッカー来日 ヘルシングボーリュ・チーム きょう京都で第一戦 ベルリンの雪辱期す」と報じていた。

クラブチームで、当時スウェーデン国内リーグで5位だったとはいえ、多くの代表選手を輩出しており、日本が代表チームで挑んでも一蹴される強さ。テグネール団長は「ベルリンで敗れて大変しかられた。あの時の失敗を償うつもりだ」と朝日新聞社での会見で意気込んだ。日刊スポーツ本社も、まだ東京都中央区築地ではなく港区の芝田村町(現在の新橋)にあった頃だった。

日本は竹腰重丸監督やシベリア帰りのエース川本という陣容で挑んだが、完敗した。全6戦。スコアは全関西0-5、日本代表0-3、全九州0-13、全広島0-3、全慶大0-7、日本代表0-5。ノーゴールの計36失点で36年ベルリン五輪の借りを返された。

以来、A代表は通算1勝3分け1敗。ベルリンを最後に勝ちはない。U-23の16年リオデジャネイロ五輪では日本が1次リーグ第3戦で1-0の勝利を収めているが、フルの国際Aマッチは02年のキリンチャレンジ杯(1-1)以来24年ぶりの再戦となる。

森保ジャパンは今、欧州勢を相手に10戦負けなし(8勝2分け)。前回22年カタール大会からドイツ、スペイン、ブラジル、イングランドを連破しており、もう1936年のように「奇跡」とは呼ばせない集団になっている。

一方で、再び世界を相手にピッチ上で戦うようになった歴史の始まりには1951年のヘルシングボリ戦があった。あの惨敗から75年。運命的なリマッチは、日本時間26日の午前8時に始まる。

日本はスウェーデンに勝つか引き分ければ、自力でF組2位以上が確定。3大会連続の1次リーグ突破が決まる一戦で、W杯では初の対決で、進歩を示すスウェーデン戦2勝目を狙う。【木下淳】