土井杏南、母校後輩の言葉で未踏挑む/インタビュー

女子短距離の土井杏南(24=JAL)がこのほど、電話インタビューに応じた。2回に分けて紹介する。下編では東京五輪へ向けた覚悟、高校総体の中止を受けての胸中などを語った。

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ずっと目標に掲げている東京五輪が延期に決まった。力強く言う。

「私にとってはマイナスなことではなくて、逆にプラスなこと。この1年間、いろいろ試すこともできる。しっかり次へ加速する1年にする。そして東京の年にしっかり加速できた状態で向かっていきたいです」

日本の女子短距離界にとっては、まず出場への壁が高くそびえ立つ。参加標準記録は11秒15。福島千里(31=セイコー)が持つ日本記録は11秒21で、土井の今のベストは11秒43だ。

「実際問題、日本で11秒15は前例がない。清田先生とは『誰も出したことのないことをする。常識を常識と思わないようにしよう。非常識と思われるぐらいにやっていこう』と決めました」

冬季は例年、3、4時間だったという練習時間を変えた。「常識」で壁を越えられないならば、「非常識」に挑むしかない。

「多い時には、週2回は6時間以上やっていました。午前中に2時間ほどウエートなど走れないメニュー。午後に走る練習やプラスアルファの部分。陸上の短距離選手で、そこまで長くやる人はいないと思うのですが、その日の目的を少しでも達成するためにやっていたら、結果的にそうなっていました」

はだしで砂場を走ったり、不整地を走る練習も繰り返したという。

紆余(うよ)曲折を経て、今に至る。埼玉・朝霞一中では11秒61の中学記録を残し、埼玉栄高2年時には現在の自己ベストでもある11秒43の高校記録を樹立した。ロンドンオリンピック(五輪)の出場は日本陸上界で戦後最年少。天才少女として世間を騒がせたが、その後はケガに苦しんだ。

ヘルニアや肉離れの繰り返し。大東大3年時には日本選手権で予選落ち。不振から脱することができず、18年夏に拠点を埼玉栄高に移した。そこで清田監督に再び師事し、輝きを取り戻した。「復活」という言葉は使わず、「進化の過程」と表現する。競技への向き合い方も変わった。

「以前はどちらかと言うと、結果で判断する部分がすごく多かったんです。でも今は、自分の思った動きにどれだけ近づけるかということしか考えていない。理想、目標とするタイムはもちろんあるのですが、理想の動きを磨いた結果、目標のタイムが出るという考えにシフトしました」

拠点を埼玉栄高にしてからは、グラウンドで高校生と切磋琢磨(せっさたくま)してきた。ただ、新型コロナウイルスは高校生の活躍の舞台を奪った。インターハイも中止を余儀なくされた。すぐ近くで、後輩たちの姿を見ていたからこそ、胸が締めつけられる。その瞬間に懸けてきた高校生に、すんなりと気持ちの切り替えを促すのも違うと思う。

「本気で総合優勝を狙っていたのを間近で見ていました。何と声をかけていいのか難しい部分はあります。みんな登校していないので、まだ会えてもいないんです。ただ、1つ絶対に言えることは、今までやってきたことは無駄ではない。これから、そういう部分は伝えていきたいと思います」

よく高校生とは、こんな会話をしていたという。

「土井先輩はオリンピックに出て、私たちはインターハイで総合優勝」

その言葉を夏に現実とすることを目指していた。熱く、真っすぐ高校生の言葉は、胸に響き、糧となっていた。

「一緒に練習してくれる高校生がそう言ってくれるのは、励みになっていました。そういう人たちがいるからこそ、絶対に実現をしたい」

自分には目指すべき目標が残っている。1年延期になっただけ。挑む覚悟は強くなった。【上田悠太】

 

◆土井杏南(どい・あんな)1995年(平7)8月24日、埼玉・朝霞市生まれ。朝霞一中では11秒61の中学記録。埼玉栄高2年時に現在の自己ベストでもある11秒43の高校記録を樹立。12年ロンドン五輪に日本陸上界で戦後最年少となる16歳で出場。大東大を卒業後、18年にJAL入社。