往路3位だった駒大が、10時間56分4秒で13年ぶり7度目の総合優勝を果たした。最終10区で創価大を3分19秒も追い掛ける展開。絶望的な状況を、石川拓慎(3年)が残り約2キロではね返した。

アンカーで3分以上の差を覆した優勝は1932年(昭7)の慶大以来89年ぶり。大波乱となった往路に続き、復路に大どんでん返しが待っていた。

    ◇    ◇    ◇

9区石津佳晃(4年=浜松日体)からタスキを受け取ったときは笑顔だった創価大のアンカー小野寺勇樹(3年=埼玉栄)の表情が、残り8キロあたりからかげりはじめた。フォームが乱れ、思うように足が動かない。セーフティーリードと思われた差がみるみる縮まる。土壇場で許したまさかの逆転。追い抜いていった駒大・石川の背中がどんどん小さくなった。

泣きそうな顔で走り切った小野寺は、ゴール後に倒れ込むと、担架の上で酸素吸入を受けた。レース後に榎木和貴監督は小野寺の体調について「大丈夫と聞いている」と話し、脱水症状だった可能性を否定。失速の原因を「緊張からくる精神的なものかな」と推測した。

チームは前日、低評価を覆して創部初の往路優勝を果たした。この日も6区の浜野将基(2年=佐久長聖)を筆頭に、7区原富慶季(4年=福岡大大濠)、8区永井大育(3年=樟南)と先頭を走り続け、9区石津は区間賞の快走。総合優勝に弾みがついたかに思えたが、最後にどんでん返しが待ち受けていた。指揮官は「あそこまで行ったら悔しい思いが強いが、もともと3位が目標だったチーム。自分の思っていた以上に選手たちが成長している」。前回初めてシード権を手にしたチームが、わずか4度目の出場でつかんだ準優勝に胸を張った。

失速した教え子にも、榎木監督は温かいまなざしを向ける。「今日の悔しさを一生忘れることなく、今後の競技人生に生かして欲しい。卑屈になることはない。堂々として欲しい。この経験があったからこそ、将来の小野寺があったと言えるように生かして欲しい」。春に最上級生となる小野寺は、さらに強くなって箱根路に戻ってくるはずだ。【奥岡幹浩】