「また、出てきたか」-。6月の日本選手権女子100メートルで、北海道出身の御家瀬(みかせ)緑(恵庭北高2年)が11秒74の記録で4位に入り、ジャカルタ・アジア大会代表入りを決めた時の率直な感想だ。

その新星を指導するのは最速女王、福島千里(30)らを育てた中村宏之監督。福島を始め、女子100メートルの元日本記録保持者の伊藤佳奈恵、11秒42の自己ベストを持つ北風沙織ら数多くの女子スプリンターを世界の舞台へと誘った。その指導法に秘密はあるのか?

「虎の穴」に潜入した-。ちょっと、大げさになったが、8月26日の北海道マラソンの取材翌日、北海道ハイテクACの練習拠点インドアスタジアム(恵庭)を訪れた。4月末まで札幌勤務だった筆者にとって、足しげく通った思い出深い場所だ。

月曜は休みのため、ひっそりとしていたが、中村監督が迎えてくれた。すでにジャカルタ・アジア大会が開幕し、御家瀬は日本をたっていたが、今回は遠征に同行せず日本から見守っていると言う。「今から世界を経験することは良いこと。まだまだこれからの選手。経験を次に生かせれば」と静かな口調に今後の期待感をにじませた。

福島を取材していた頃、何度となく書いたが、その練習法は独特だ。開始からいきなりバスケットボールに興じる。バレーボール、バドミントン、テニスだったりと、その日によって違うが、どう見ても陸上の練習ではない。それも2時間以上も。所属していた頃は福島も、同じ場所で練習する御家瀬ら恵庭北高生も、みんな大騒ぎしながらやっている。ただ、これが中村式の原点だ。

速筋(速筋線維)を鍛える。バスケなどで予想外な動きをしたり、また、その動きに対応することで瞬発系の筋肉が強化され、反応の良さや素早い動きが養える。御家瀬もまだ、本格的なウエートトレーニングなどは始めていない。福島がそうだったように、バスケットなどの他に、監督が発明したミニハードルなどを使いとにかく素早く動き、それを体に染み込ませているという。

「ハード過ぎる練習はいらない。神経系はこの時期しか鍛えられない。まずはそこを強化していきたい」と持論を話す。

そして、何より個性を尊重する。福島が台頭してきた時、手を広げて走っていたが、修正しなかった。

「その走り方で速くなってきたんだから余計なことはしない。今、福島が手を広げて走らなくなったように走りは自然と変わってくる」

だからこそ、まだ荒れ削りでも御家瀬の走り自体に修正は加えない。バネのある走りを尊重し、個性を伸ばしていく。練習中も多くは伝えない。自主性を求め、自身で考え、発見することを促している。

中村監督は大学卒業後の68年に北海道・中標津高に赴任、その5年後に恵庭北高に転任し、今に至っている。雪が降り、寒い道内では冬季に外では、練習ができない。当時は廊下や他の部活が練習している体育館の隅などを使い練習していたという。自身の発想を頼りに、ヒントを得ては畳や物干しざおなどを使い強化につなげた。

今でも多くの道具を使い工夫を凝らす。「失敗もあったけど、いかに嫌いにならず、飽きさせないで練習をするかを考えてきた。好きなことなら、どんどん伸びていくから」。

北海道で女子の指導を初めて50年がたった。指導法に秘密はあるのか? その問いには「別にないよ」と、自身のことにはあまり興味を示さない。口にするのは「女子短距離の火を消してはいけない」。使命を胸に刻み込み、全てを指導に注ぎ込む。酒の量は減ってきても、情熱は決して失わない。

男子ばかりが注目されているが、信念に導かれし新星たちが、また新たな歴史の扉を開く。監督と話した4時間は、そう思わせてくれる濃密な時間だった。

◆松末守司(まつすえ・しゅうじ)1973年(昭48)7月31日、東京生まれ。06年10月に北海道本社に入社後、夏は競馬、冬はスポーツ全般を担当。冬季五輪は、10年バンクーバー大会、14年ソチ大会、今年3月の平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)と3度取材。5月から五輪担当になり、主に卓球、レスリングを担当。