人一倍の気遣いの人だった。「野獣」というニックネームから想像する性格とはある種対極にあり、柔道着を着た時に発現する射抜くような視線の「獣性」との二面性が、松本薫(31=ベネシード)には常にあった。

さまざまな選手のコメントに触れたリオデジャネイロ五輪の中でも、鮮明に覚えている言葉がある。2連覇の夢が散った後の3位決定戦に勝ち、引き揚げてきた時の一言だ。「ここ(取材エリア)にいたから見えなかったと思うんですけど、ごめんなさい(手を合わせるしぐさ)しました」。質問は客席にいた家族へのあいさつについてだった。報道陣が「ここ」にいたことに気づき、気にしてしまう、しまえる実は繊細な心は、銅メダルで「煮えくりかえってます、腹の中は」といえど、変わらなかった。その態度が「気遣い」の人の本性を物語っていた。

その日も観客席にいた両親への思いが、そもそもの五輪へのモチベーションだった。中学生で柔道で五輪を目指す意思を固めたのは、「母さんを海外に連れて行きたいということだけ」。ロンドンで頂点を極めた後に、2連覇への気持ちが固まらない中で現役続行を決めたのも、競技のことには何も注文しなかった父に「リオに連れて行ってくれ」と初めて頼まれたからだった。自分本位に何かに猛進できる人ではなかった。周囲の期待、気持ちを敏感に感じることにたけ、苦しい姿は見せないように努めていた。

それは後輩たちへも同じだった。ロンドン五輪では男女通じて唯一の金メダリスト。柔道界の顔になった。「野獣」のニックネームは広く知られ、常人には思いつかないような言動は多くの関心を集めた。「急に生活が変わったので最初はびっくりしたけど、良い勉強になりました。外にでると松本薫だ、野獣だと。見られる立場はそれなりの行動も必要なんだなと、少しだけ。最初は嫌でした」。ラーメン屋で食事していても、SNSに投稿されるような環境に戸惑いもあった。ただ、そこで折れなかった。「人から見られることでその自分にならないといけないとか、金メダリストらしくしないといけないとか考えてしまって。でも本来の自分はそんな格好つけることもできないですし、結構みんなと騒いでいる方なんだなとわかったし、本当の私を見つけることもできました」。決して公の場では弱音は吐かなかった。

泣いたのは親友の前だけだった。代表選考会の4月選抜体重別選手権の準決勝で敗れると、ロンドン五輪銀メダルの杉本美香さんに連絡した。「厳しく指摘してくれる人がいない。足りないものがある」。代表には決まったが、勝てない。人知れず悩んでいたが、後輩たちの前で情けない姿を見せることはできない。親友の前でだけ泣いた。稽古中は泣けなかった。不安に揺れる心は、日本代表チームのために隠した。「金メダリストだから」。常にイメージを追った。それも気遣いができる人だったから。

思えば、奇特な発言も報道陣への心遣いだった側面はあるだろう。宿舎でヘッドライトでパンツを燃やしてしまった話や、「くるりんぱ」という新技の話、空港に戦隊もののお面を持参してきたり。松本に聞きに行けば外れなしという絶大な信頼を得ていたが、それも柔道界を盛り上げ、少しでも話題になるように努めるためだった気持ちもあるのではと、いまでは感じる。

担当したのはリオ五輪が終わるまでだったが、もう1つ印象的なフレーズがある。

「やめようと思ったことはしょっちゅう。十回以上あります。基本やめるスタンスで。何かあるともうやめようかなと思っている。やめようと思って、やめることはいつでもできるな、そうなったときに伝える番になったときに何も伝えることができないなと。ちゃんと逃げずにやりきって伝える立場に行かないとと思いました」。

家族ができ、子供もできた。その中で松本はついに自分のためにやり切ったのだろう。現役時代も誰よりも他人の気持ちを分かる選手だったからこそ、指導する立場となった「野獣先生」の未来も楽しみにしている。

【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)