ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)が、23日の横浜F・マリノス戦でJ1最多出場記録に並ぶ631試合に到達した。

遠藤の記録を鹿児島市の実家で喜ぶ父武義さん(左)と母ヤス子さん(撮影・横田和幸)
遠藤の記録を鹿児島市の実家で喜ぶ父武義さん(左)と母ヤス子さん(撮影・横田和幸)

その大記録に備え、記者は先日、鹿児島市桜島の実家へ父武義さん(72)母ヤス子さん(71)を訪ねた。武義さんとは96年アトランタ五輪以来、24年ぶりの再会だった。

当時は遠藤家の次男彰弘さん(44)がMFで、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を演じた。会場のオレンジボウルで取材をさせてもらい、その際、父からは「彰弘には同じ鹿児島実の弟がいて、兄以上に有望株。名前は保仁、16歳です」と聞かされ、取材ノートに記していた。その弟が今40歳。記者は再び、遠藤家の偉業を取材できた喜びがある。

今回、記録達成の感想を聞くと、父は「自分の子供ながら本当にすごい。単独記録もつくり、その後どこまで伸ばせるか。2度と破られることのない、試合数にしてほしい」とコメントした。この日は会場に行かずに、鹿児島でテレビ放送を見ていたという。

遠藤の両親が記した祝福コメント
遠藤の両親が記した祝福コメント

種子島出身の武義さんは桜島町役場(現鹿児島市桜島支所)で定年を迎えた。主に総務、広報担当として、住民の意見を細かく吸い上げ、町長との橋渡しに奔走。「いわば司令塔的な役割でした」。定年後も市の外郭団体の幹部として9年間も嘱託で働いた。ピッチで仲間を束ねる遠藤は、この才能を受け継いだのかもしれない。

「ヤットは他人の悪口は絶対に言わない。何があっても『まあ、まあ』と流すのが得意。怒らない性格は、母親似かもしれない」と笑う武義さんの背後で、ヤス子さんは「緊張しないのは父親似」と返す。長男拓哉さん(46)を含め、名門・鹿児島実で全国高校選手権に出場するなどサッカーを極めた“遠藤3兄弟”は、改めて穏やかな一家で育ったと感じた。

遠藤の実家では父武義さんが過去のお祝いの焼酎を多数飾っている(撮影・横田和幸)
遠藤の実家では父武義さんが過去のお祝いの焼酎を多数飾っている(撮影・横田和幸)

取材したこの日は強風にあおられ、火山灰が痛いほど目が入ってきた。「これだと今は試合が中断になるけど、昔は雷が鳴っても続行でしたからね」と武義さん。桜島の大自然も遠藤の成長を促したのは間違いない。この日、記者は早々と取材を切り上げ、ヤス子さんが作ってくれた郷土料理と芋焼酎を口にしていたのは内緒です。【横田和幸】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)