19年にJ1神戸ポドルスキ(左)、神戸製鋼カーター(右)と写真に納まる文元明宏氏(文元氏提供)
19年にJ1神戸ポドルスキ(左)、神戸製鋼カーター(右)と写真に納まる文元明宏氏(文元氏提供)

そこに、競技の枠を超えた物語があった。ラグビーの元ニュージーランド(NZ)代表SOダン・カーター(38)が22日、神戸製鋼を退団すると発表された。世界の年間最優秀選手に3度選ばれた司令塔は、18年のトップリーグ優勝に貢献。引退発表の約1カ月前には自らのインスタグラムへ「人生の中で最も楽しいラグビーをすることができた」とつづった。すると1件のコメントが寄せられた。

「左足よ、永遠に」-

書き込んだのはサッカーの元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキ(34)だった。今年の元日、J1ヴィッセル神戸で天皇杯初優勝。港町で3シーズンを過ごし、1月末にトルコのアンタルヤスポルへ移籍した。互いにワールドカップ(W杯)優勝を経験し、その左足で世界を魅了してきた。だがNZではサッカーが、ドイツではラグビーが強豪とはいえない。接点はなかった。

2人を結んだ人がいた。「ポドルスキが日本のトレーナーを探している」。17年、J1神戸の関係者から連絡を受けたのが文元(ふみもと)明宏氏(35)だった。すぐに駆けつけたが、10分ほど治療するとポドルスキは食事を始めた。「マジか!? 試されている!?」。とっさに自ら「私も食べていい?」と呼びかけ、隣に座った。懐に飛び込んだが、施術には厳しかった。

20年シーズンの開幕前、神戸製鋼のカーター(左)をケアする文元明宏氏(文元氏提供)
20年シーズンの開幕前、神戸製鋼のカーター(左)をケアする文元明宏氏(文元氏提供)

約1年後にカーターが来日した。神戸の人工島である六甲アイランドで偶然見かけ「治療させてほしい」と直訴した。3週間後に連絡があり、週に1回の治療が始まった。2人は共通して左の股関節が硬く、その一因は右足のかかとにあった。酷使すると細かく3つに分かれた骨の隙間が詰まる。それを広げる施術は、ポドルスキの繊細な感覚をつかむまで1年半かかった。最初は3時間にわたって施術した反動で、動けなくなるほどだった。技術はカーターに生かされた。

「ポドルスキは戦車みたいな体。ふくらはぎ、太ももも少し荒め。カーターは逆に繊細で柔軟性がある。2人に共通していたのは、体に対しての妥協のなさ。12年ほどトレーナーをやってきた自信は全て消えた」

J1神戸のポドルスキが出場した天皇杯決勝を観戦した神戸製鋼カーター(左)と文元明宏氏(文元氏提供)
J1神戸のポドルスキが出場した天皇杯決勝を観戦した神戸製鋼カーター(左)と文元明宏氏(文元氏提供)

治療以外でも何か還元を-。2人をつなげる食事会を設定し、親交は一気に深まった。ポドルスキはカーターから19年ラグビーW杯日本大会の試合に招待され「新しい世界。モチベーションが上がった」と言った。カーターは年明けに国立競技場へ駆けつけ、ポドルスキが戦う天皇杯決勝を目に焼き付けた。2人のスターは「神戸」で結ばれた。

文元氏は今も2人と連絡を取り合う。「『自分がチームを勝たす』。そのために2人は絶対に妥協しない。僕だけでなく、みんながそれを学んだと思います」。世界が認めるスターはかけがえのない財産を残し、日本を去った。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆文元明宏(ふみもと・あきひろ)1984年(昭59)8月18日、兵庫・明石市生まれ。大阪の専門学校で柔道整復師、鍼灸(しんきゅう)師の資格を取得し、近畿医療専門学校の特別顧問などを歴任。過去に大相撲の元大関琴奨菊、元関脇嘉風(中村親方)、プロ野球ソフトバンク本多雄一内野守備走塁コーチらを担当。

パスを出す神戸製鋼SOダン・カーター(右)
パスを出す神戸製鋼SOダン・カーター(右)