異例のマイクパフォーマンスだ。W杯イングランド大会の日本代表でパナソニックのSH田中史朗(30)が日本ラグビー発展へ一肌脱いだ。近鉄に逆転勝ちで開幕2連勝を決めた後、グラウンド上で「京都市スポーツ特別賞」を門川大作市長(64)から受け取った。故郷京都での声援に感謝する一方で、西京極開催最多となる7278人の入場者数に満足なし。マイク越しに堂々と日本協会の現状にくぎを刺し、ラグビー界全体の奮起を訴えた。

 門川京都市長から笑顔で表彰状を受け取った田中が、マイク越しに感謝の言葉を伝えた。そんな和やかな流れが突然切り替わった。

 田中 日本ラグビーの新しい歴史を作れて良かったです。しかし、協会に頼っていても、まだまだ(ラグビーは)普及していません。僕たちとみなさんで、日本の歴史を作っていきましょう。

 7278人を集めた一戦も、2万688人収容の西京極では3分の1にすぎない。W杯の快進撃で日本は空前のラグビーブームに包まれた。だが、13日の開幕戦は、日本協会の見込み違いで観衆は昨季開幕戦を下回り、田中は「ラグビーが負けた日」と痛烈に言い放ったばかり。人気回復を願うからこそ、この日も「最後がこういう結果だと、次の子どもたちが苦しい思いをする。僕たちは人生をかけてやっている」と声を上げた。

 14日には協会の小西事務局長へ自ら電話し、説明を求めた。そして迎えた故郷凱旋(がいせん)だった。

 「京都はラグビーファンがかなりいる。働きかけをしたら変わっているはず。協会は『勝手に人が集まる』と思っている。もっと必死になってもらわないと。1週間じゃいきなり変われないかもしれないけれど、W杯から1カ月以上空いてこの状態は寂しいです」

 過激な発言の裏で、田中は協会との意見交換を改善策に掲げる。「16チームの選手に協会、メディア、ファンの方々で一緒にやっていかないと」。選手会を発足させる案に加え、海外でのプレー経験からファン同士で楽しめるウエーブなど、応援スタイル変更の私案もぶち上げた。異例の行動のゴールは1つ。ラグビー界の発展にある。【松本航】

 ◆田中史朗(たなか・ふみあき)1985年(昭60)1月3日、京都市生まれ。伏見工高1年で花園優勝。京産大を経てパナソニックに入社し、2年目の08年5月に代表デビュー。14年には伝統の世界選抜チーム「バーバリアンズ」にも選出(日本人3人目)。166センチ、71キロ。53キャップ。