国際バスケットボール連盟(FIBA)は14日、パトリック・バウマン事務総長が、ユース五輪が行われているアルゼンチン・ブエノスアイレスで、突然の心臓発作のために51歳で亡くなったことを発表した。バウマン氏は1995年に副事務総長に就任し、2002年から事務総長を務めていた。

日本バスケットボール界が大きな1歩を踏み出せたのも、バウマン事務総長の尽力があった。日本はFIBAから2リーグの並立、協会のガバナンス、代表の強化などの問題点を指摘されたものの、事態の改善がなく14年11月に国際大会出場資格停止処分を科された。バウマン事務総長は日本協会改革のためのタスクフォース・チェアマンに川淵三郎氏に就任を依頼。以降は川淵氏を中心に協会のガバナンスの立て直しに着手し、FIBAと相談しながら難題を解決していく中で、15年8月9日に制裁は解除。その後もFIBAが日本協会の動向を見守る監視機関は継続し、16年にはBリーグも開幕。男子日本代表は18年6月のW杯アジア1次予選で世界9位のオーストラリアを破るなど、代表の強化でも一定の評価を得ていた。東京五輪で開催国枠を与えるかどうかはまだ明言されていないが、バウマン事務総長らFIBA首脳と、日本協会の信頼関係は厚いものになってきていた。

バウマン事務総長が3月に来日した時には「FIBAは日本に対して意地悪やじゃまをするために動いているのではなく、サポートをしている」と日本への思いも話していた。川淵氏は自身のツイッターで「突然のことで言葉がない。Bリーグの創設は彼の存在無くしてあり得なかった。リーグ統合の際全面的に支援していただいたし、いざとなれば何事でも彼に相談できた。ご冥福をお祈りします」とコメントした。