元プロボウラーの中山律子(なかやま・りつこ)さんが、7日に死去した。84歳だった。中山さんは1969年(昭44)に女子プロ第1期生としてデビュー。70年にテレビの生中継で女子プロ初のパーフェクトゲームを達成。71年には「さわやか律子さん」のテレビCMで爆発的な人気を呼んで、日本にボウリングブームを巻き起こした。記者が生前のエピソードを交え中山さんを悼みます。
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今から32年前、1994年(平6)にフジテレビの歴史に残る名ドラマ、田村正和さん主演の「警部補・古畑任三郎」が連ドラとして放送された。ドラマが話題を呼ぶ裏で、広報担当者を中心に“フジテレビボウリング部”が結成された。同ドラマの関係者やスポーツ紙、テレビ誌の担当記者で、毎月最終金曜日に集まって都内のボウリング場で投げ、そして打ち上げた。
当時は70年代のボウリングブームは遠くなっていた。フジテレビの「月9」ドラマ、「北野ファンクラブ」の収録が行われていた渋谷ビデオスタジオが、元ボウリング場だったというくらいしか、業界では話題にならなかった。
だが、ブームから遠ざかったボウリングを愛好するシュールさが、仲間内でウケた。休みの日には、閉鎖する千葉や茨城のボウリング場まで出かけ、在庫のボールをあさって穴を開け、マイボールを作った。毎月最終金曜日には、重いマイボールとマイシューズを持って取材に出かけて、夜の大会に備えた。
芸能人も参加した。田村さんが姿を見せることはなかったが、「古畑-」で古畑の部下の今泉慎太郎を演じた西村雅彦さん。さらに村田雄浩さん、川上麻衣子さん、アイドル井上麻美さん、キャスターの玉利かおるさん、ラジオパーソナリティーの沖直実さんと、その輪が広がっていった。
その後、栃木の宇都宮の支局に赴任して、他の誘いは断っても最終金曜のフジテレビボウリング大会だけは上京して参加した。高校野球の取材は夕方までに終わる。午後6時までに出稿を終え、当時のJR宇都宮線の快速ラビット号に飛び乗れば1時間半。むしろ芸能記者時代よりも集合時間に早く着いた。
会場は田町ハイレーン、中野サンプラザボウル、恵比寿ボウルと、今ではなくなってしまった都内各地のボウリング場。そして何よりも、毎回のように有名プロボウラーがゲストとして参加してくれた。須田開代子プロ、並木恵美子プロといった超一流が参加してくれた。そして、打ち上げで、いろいろな話を聞かせてくれた。
ある時、宇都宮から上京すると、ゲストが中山律子さんだった。確か会場は中野サンプラザボウル。日本のボウリングブームは1970年(昭45)8月21日の中山さんのパーフェクトゲーム達成から始まったと言っても過言ではない。プロ野球の長嶋茂雄さんのような存在だった。
打ち上げの会場で、中山さんを質問攻めにした。アベレージ120くらいの記者だが、300点、パーフェクトゲームの時のことを尋ねると「勝つことだけを考えていたんで、最後の方まで気がつかずにいた。終盤になって緊張したけど、あれでいろいろなことが変わった」と話してくれた。
当時の中山さんはアラフィフ。今で言う、美魔女だった。そして<歌詞>律子さん、律子さん、さ・わ・や・か・律子さん~ のCMソングでおなじみだった花王フェザーシャンプーのCMについても聞いてみた。奇麗な中山さんが、バストアップのクローズアップで手を高々と上げて頭を洗っていた。「頭を洗うところのシーンは、ちゃんと下はガッチリ着てたけど、ボウリングのシーンでスカートがいつもよりミニだったから恥ずかしかった」と振り返ってくれた。
ぶしつけな質問にも“さわやか律子さん”で丁寧に対応してくれた。そして、最後に「これからもボウリングをお願いしますね」と言ってくれた。第一人者ならではの責任感を感じた。
あれからボウリング界には何度かの小さな波がやって来た。それでも、あの70年代のブームを知る全ての人が思い浮かべるのは中山律子さん。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】


