悲願の初優勝を目指した天理大が、関西勢としては84年度まで3連覇した同志社大以来、34大会ぶりの頂点を逃した。ラインアウトやBKのキックで劣勢に回り、明大の激しい防御にも苦戦。後半は17点ビハインドから巻き返したが、小松節夫監督(55)は「(決勝が)7年ぶりで、そこに少し差が出たのかな」と悔やんだ。

天理大フィフティーンが、ノーサイドと同時に地面へ崩れ落ちた。1925年(大14)の創部当初、天理教2代真柱の中山正善から黒のジャージー、パンツ、ストッキングを贈られて以降、天理高の「純白」とともに「漆黒」で統一された勝負服。明大ファンが大半を占めたスタンドから、天理大を応援する声も80分間通して選手の耳に届いた。

SO松永拓朗(2年)は左膝が陥没骨折し、靱帯(じんたい)も損傷しての先発出場。いつものようにキックでエリアを進められず「すごい歓声でアウェー。気にしないように心がけていたけれど、途中でのみ込まれてしまった」。プロップ加藤滉紫(4年)は「明治さんも去年(帝京大との決勝で)1点差に泣いている。僕らは何かが足りなかった」と悔しげに話した。

5点を追った後半のラスト1プレー。最後は何度もチームを助けてきた日本航空石川出身のトンガ人留学生、CTBシオサイア・フィフィタ(2年)のノックオンで初の日本一を目指す戦いは終わった。フィフィタは日本語で「今日は僕のせいで負けた。その悔しさを忘れず、来年、日本一を取れるようにしたい。1から…じゃなく、0から頑張りたい」。それぞれが悔しさを胸に刻み、奈良の地で仕切り直す。