2003.10.12付紙面より
おかん、笑ってくれ 僕のオヤジギャグ
日ごろ繰り出すオヤジギャグには秘密があった。人気グループTOKIOのリーダー城島茂(32)は、カメラの向こうに見える一家団欒(らん)を何より大切にしているという。バラエティー番組でダジャレを連発するひょうきんな顔は、少年時代のつらい家庭環境をバネにした自分なりの強い信念だった。
きっかけ提供
周囲をなごませる独特の雰囲気がある。バラエティー番組でも、グループ最年長のリーダーながら、メンバーから、とにかくツッコミを入れられる。ベタなダジャレを好んで使い、アイドルらしからぬ古めかしい言葉も自然と口にする。
「ダジャレはですね、これだけは譲れません、絶対に。僕は世代を超えたダジャレを言い続けているんです。テレビを見ているどこかの家族が、僕のギャグをきっかけに、クロストークを始めてくれればいいなあと。たとえ、そのダジャレがつまらなくてもね(笑い)。そんなところから家族の触れ合いが生まれるかも知れませんし。そういうのって大事じゃないですか。せっかくテレビに出るのなら、みんなが楽しめる時間を提供したいという気持ちが根底にありますね」。
アイドルグループでロックバンドでもあるTOKIOのリーダーだが、お笑いタレントのようなサービス精神。奈良生まれの関西弁も手伝い、親しみのある笑顔は人を引きつける。そんな城島が、家族の在り方を気にするのは訳があった。
「あまり言っちゃうと、自分よりもつらい状況だった人に対して失礼だと思いますが、正直、自分が育った家庭環境が今の自分に影響していることは間違いないですね」。
小学校3年生の時に両親が離婚した。九州出身の母は、どんな逆境でも笑顔を見せる強い女性だった。それでも、父につらい目にあわされ、泣いていたり、酒に酔って吐いている姿も見た。離婚してからは、母と暮らした。中学校まで不登校を繰り返した。
「現実逃避として不良になるっていうのが一番手っ取り早かったんですけど、それをやっても解決策にならないなと。子供を支えに頑張っていたオカンのことを思うと、それはしてはいけないなと思いました」。
中学3年の時に少年隊が「仮面舞踏会」を歌い、踊る姿をテレビで見た。両親を含めた大人の世界に対して自分を閉ざしていた時に、光り輝く世界を目の当たりにした。
「これだ! と思いましたね。何とか今の生活を脱したい。現実逃避できるのは、この夢のような世界だと。芸能界に飛び込めば、僕は変わることが出来るんだって。初めて持った夢というか、ちょっと大げさに言えば僕にとってのアメリカンドリームみたいなものがそこにありましたね」。
芸能界で順調に活躍し続けている今、一家団欒、温かい家庭と縁遠かった自分ができることは、そんな家庭をできる限り少なくすることだ。
「昔の出来事、親には感謝しています。全部積み重なって今の自分ですから。でもやっぱり、自分にはなかったもの、家族の和の手助けになるものは絶対提供したいんです。これ、本当ですよ」。
東山の姿追う
家族の在り方へのこだわりは、当然のように恋愛や結婚観にも影響を及ぼしている。
「絶対に女房子供を泣かさないというのはもちろん、大黒柱としてもしっかりしなきゃいけませんよね。小さいころから温かい家庭が欲しかったから、結婚願望のものすごい強い子供だったんです(笑い)。僕は、オカンが19歳の時に生まれた子供なので、若い母親なんです。だから自分も、18歳ぐらいで父親になるのが夢でしたね。子供とは、ちょっと離れた兄弟っていうか。『おい、息子。ナンパでも行こうぜ』とかね(笑い)。でも、芸能界に入るのも夢でしたから、子持ちのジャニーズJr.っていうのは、むちゃくちゃですし(笑い)。18歳の時に不動産の営業の仕事も内定してましたが、結局は芸能界を選びました」。
TOKIOのほかのメンバーは、それぞれ交際が公になり、ゴールイン間近と報じられることも珍しくない。最近も、一部女性誌で、あるメンバーが「結婚秒読み」と報じられた。記事の中に「リーダーが結婚しないうちはできないと話している」という趣旨の関係者の談話が掲載された。
「ハハハ。今までも、スタッフやメンバーたちと『リーダーは、いつ結婚するの?』って話になると、その週刊誌の話に限らず、みんなそう言いますよ。冗談半分で、普通にそう言ってます(笑い)」。
メンバーたちには気の毒? だが、今の城島に結婚願望はほとんどない。
「僕自身が、目標としてあこがれる(少年隊の)東山(紀之)さんが落ち着かないうちは、僕なんかまだまだです。背中を見ながらバックダンサーをやって、やっとデビューできて、追い付け追い越せの気持ちでやってきた。もちろん追い付けないし、年齢も追い付かないし(笑い)。毎年夏に『PLAY ZONE』という少年隊のミュージカルを見るんですけど、その時いつも、デビュー前の先輩の背中を見ていた時を思い出すんです。そりゃ、僕も30歳を超えたオッサンですから、今までに結婚したいなという出会いもありましたよ。気持ちが(結婚に)揺れたことも正直あります。でも、東山さんを見るたびに、まず、本業がしっかりしていないとダメだなと」。
片道切符17年
TOKIOは来年、CDデビューから10周年を迎える。今でこそ、バラエティー番組に引っ張りだこ、新曲は必ず上位にチャートインするが、ジャニーズ事務所のアイドルグループとしては遅咲きだった。91年に結成したが、1カ月間で仕事は雑誌2社の取材だけ。SMAPなど、先輩グループの活躍に押され気味で、目立たない存在だった。3年後にCDデビューを果たしたが、ヒットチャート1位を初めて獲得したのは、それから7年後、実に22枚目のシングルだった。
「グループとしての危機って言われると、ぶっちゃけ、CDの枚数がいかなかったころですかね。正直、つらかったですね。ちょこちょこメンバー同士で、例えば、ごはん屋さんで、山口(達也)にばったり会って、杯を酌み交わしながら『どうやろな、最近』というような話をするようなことはありました。今だから言えることかもしれませんが、そういうことって波みたいなものもあるんじゃないですかね」。
95年スタートの日本テレビのバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH」(日曜午後6時55分)をきっかけに、メンバーの個性が見えてきた。体力勝負のロケ中心の構成で、電車を相手にリレー競走するなどユニークな企画が人気を集めた。
「バラエティーの時はみんな素ですから。身近に感じてもらいたいし、僕らも大好きです。ある意味、僕らの原点ですから」。
テレビ朝日「愛のエプロン3」(毎週土曜深夜0時30分)では、女性タレントがレシピなしで作った料理を試食する企画が視聴者に人気。チョコレート味のカレーなど、常識を超えた「作品」を食べさせられ、バケツに吐く時も多々ある。
「みそ汁にアサリを入れる前に、いきなり包丁を使って貝を開けようとしたりする。おい、それ、危ないって。この子らが母親になった時に子供に何を食わすんやって、余計な心配しちゃうんですよ(笑い)」。
つらい状況から現実逃避するため、高校1年だった城島は母に内証で履歴書をポストに投かんした。1カ月後に返事が届いた時「現実から逃げられる」と思った。夢の世界に向かう片道切符を手にしてから17年。
「ジャニーズ事務所に入ったころはそれだけで満足するような甘いところがあった。現実逃避の限界かとも思った。今は、オカンのためにも納得のいく血の通った仕事をしたい。感謝している親に恥はかかせられないですから」。
TOKIOは今、城島が「ものすごく共感できる歌なんです」という発売中の新曲「AMBITIOUS JAPAN!」でこう歌っている。
♪逢いたくて逢いたくて たまらないから旅に出た 逢いたい人は君だけど 君なんだけどそれだけじゃない 知らない街で 出逢いたい 真実(ほんと)の自分と。
出会ったころは二枚目だった…
TOKIO国分太一(29) ものすごい勉強家だと思います。言葉を知らなきゃ人を笑わせることもできませんからそういう意味ですごいと思います。普段は結構おとなしいのに、カメラの前に立つと途端に人が変わるんです。そういうサービス精神もすごいと思います。ただ、もっと面白いダジャレを言った方が、視聴者の方の一家団欒に役立つと思うのですが…(笑い)。出会ったころは、二枚目だったのに、いつの間にか今のようになってしまって。いつごろスイッチが入ったのでしょうか。きっと何かあったのでしょうね。
◆「AMBITIOUS JAPAN!」◆ 作詞なかにし礼、作曲筒美京平、編曲船山基紀。JR東海イメージソング。13日付音楽情報誌「オリコン」で初登場1位を記録。
◆城島茂(じょうしま・しげる) 1970年(昭和45年)11月17日、奈良県生まれ。15歳の時にジャニーズ事務所のレッスン生に。91年にTOKIO結成。94年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。ギターを担当。メンバーは城島茂、山口達也、松岡昌宏、国分太一、長瀬智也。現在は日本テレビ「ザ!鉄腕!DASH!」TBS「探検!ホムンクルス」フジテレビ「メントレG」テレビ朝日「愛のエプロン3」に出演中。00年エッセー集「美男の国から」発売。170センチ。血液型O。
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