北京五輪女子カーリング表彰式でリザーブ石崎琴美(43)はスキップ藤沢五月(30)に銀メダルをかけてもらい強く抱き合った。

かつて石崎が所属していた河西建設(北海道北見市)女子チーム初代監督の藤原至さん(62=河西建設営業本部長)は「石崎と藤沢が同じチームになって、銀メダルまでとるなんて」と喜びをかみしめた。

石崎は帯広南商高卒後の1997年4月、東光舗道(北海道帯広市)に入社しカーリングを始めた。東光舗道の関連会社の河西建設が83年からカーリングを社技としたこともあり、東光舗道グループで競技経験者を集めて98年長野五輪後に河西建設で「河西女子チーム」を結成。石崎も招集された。カーリング未経験の営業課長だった藤原さんは「やる気はなかった」が持ち前の明るさが決め手になり社命で監督に就任した。

河西建設は敷地内にプレハブのカーリング場を建設。当時、室内競技場は国内でも常呂町と長野・軽井沢町にしかなく、地域住民にも開放した。近所に住む幼稚園児だった藤沢も「ほぼ毎日練習というか遊びにきていて。高校生まで来ていた」という。北京でこの日抱き合った2人は「このカーリング場で初めて出合ったんですよ」。藤原さんはうれしそうに語った。

石崎は部内で最初はリザーブ。「とにかく熱心。ストーンがどう滑るかというくせを見抜いて入念にチェックしていた。選手に合う“いい石”をあきらめずに徹底的に見つけ出す能力があった。昔から縁の下の力持ちだった」。藤沢についても「ジュニア選手の中ではずばぬけてうまかった。攻めの作戦を考える独創性にも優れていた」と振り返った。

20年10月、北見市の室内カーリング場が完成して、河西建設カーリング場は閉鎖された。「ウチのカーリング場で育った選手の活躍はうれしい。金の夢は4年後で」。藤原さんは次大会のミラノ五輪に期待を寄せた。【寺沢卓】

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