来月4日開幕の北京五輪に初出場するフィギュアスケート男子の鍵山優真(18=オリエンタルバイオ/星槎)が、夢舞台へ挑む心得を授かった。昨夏の東京五輪卓球男子団体で銅メダルを獲得した張本智和(18=木下グループ)との同学年対談が実現。2003年(平15)生まれを代表する夏冬のトップアスリート2人が五輪、父、オフなど語り合い、エールを胸に鍵山は北京へ向かう。日刊スポーツでは本日から開幕まで、特集「Nikkan Olympic ONE」を先行10回連載。その第1回としてお届けする。【取材・構成=木下淳、三須一紀】

    ◇    ◇    ◇

史上初の延期となった東京五輪から、北京へ。祭典の間隔が半年と短い中、夏と冬の選手間でバトンが手渡された。同じ18歳、高校3年の鍵山と張本がまずは互いの印象を語り合った。

鍵山 五輪だけでなく今までの卓球の大会でも最年少で優勝したり、同世代として尊敬していました。リンク近くの地区センターに卓球台があって、スケート以外では、そこで遊んでいたぐらい卓球が好きで。東京五輪も練習と重ならない時は結構、見ていました。

張本 (21年)世界選手権で銀メダルを取ったり、昨年末の全日本選手権で3位に入賞されたり。活躍をニュースで拝見し、期待の若手というか、これからのフィギュアスケート界を引っ張っていく方なのかなと思って注目していました。

鍵山の言葉通り、張本は世界ジュニアや国際卓球連盟(ITTF)グランドファイナル、全日本選手権など国内外の最年少優勝記録を多く持つ。鍵山も20年のユース五輪で金メダルを獲得し、今季グランプリシリーズは世界唯一の2連勝。一時は世界ランク1位だった。張本が言う世界選手権の銀メダルも日本男子史上最年少の17歳でつかんだ。

そんな2人が今季、初めて五輪出場。ともに親が指導者で英才教育を施されてきた共通点もある。鍵山の父正和さんもフィギュアスケーターで92年アルベールビル、94年リレハンメル五輪に出場。張本の父宇さんも元選手でコーチ、母の凌さんは世界最強中国の代表選手だった。2世同士、この話題で距離が縮まった。

鍵山 息子だからって特別扱いはなく、スケート教室の1人の生徒として、しっかりゼロから、基礎から教えてもらった感じです。

張本 僕も同じ。小学校6年まで、みんなと同じ教室に通っていました。たまに休日はお父さんと2人で練習する時もあったけど。

スポ根漫画で描かれるような指導がなかった点も一致するが、父子ならでは「あるある」に笑い合った。

鍵山 まじめに練習してなかった時は説教されたこともありますけど、家に帰ってもずっと怒られるのは…ちょっと嫌で(笑い)。

張本 練習先や試合会場から家までの車内はずっと言われてました。車に乗る前、どんな感じか分かるんですよ。優勝すればいいわけではなくて、優勝してもベンチに戻った時の雰囲気で、今日の“ドライブ”はどうなりそうか予想していました。独り言のような感じで怒られ続けてました。

鍵山 (思わず首を縦に振り)張本選手が言ったこと、全てに同意したいです! 僕も結構、練習後の表情で察して。今日はこれがダメだったから言われるな、と。家に着くまで静かに怒られ続ける。一番苦手な説教のタイプ…。あんまり人の話も聞かなかったので長く怒られてましたね。もちろん心には響いて、今の自分があるんですけど。

張本 あのころは確かに(笑い)。ほかの生徒が本当にうらやましかった。でも今思えば、課題をすぐに伝えてくれたので意味があったなと。東京五輪では最低限のメダルを見せてあげられたけど、色も数も目標とは、ほど遠かったので。完全な親孝行はできなかったので、次の(24年パリ)五輪では達成したいです。