ノルディックスキー複合団体で日本が銅メダルを獲得した。

2連覇を果たした94年リレハンメル五輪以来、28年ぶりの表彰台となった。前半飛躍(ヒルサイズ=HS140メートル)を4位で折り返し、首位と12秒差でスタートした後半距離(20キロ)でアンカー山本涼太(24=長野日野自動車)が強豪とのデッドヒートの末、メダルを奪った。3走のエース渡部暁斗(33=北野建設)は個人ラージヒルの銅に続く、今大会2個目のメダルとなった。

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雪の結晶が光に照らされてキラキラ舞う会場。アンカーの山本が3番手でゴールし、両手を挙げた。待ち構えていた先輩たちに抱き寄せられる。掛けられた言葉は覚えていない。それくらい体力を使い果たした。初の五輪で日本に28年ぶりのメダルをもたらした力走を終え「すごくプレッシャーだった。最高でした」。エース渡部暁は初の五輪団体でのメダルに「個人戦より10倍うれしい」と喜び合った。

次世代のエース候補、山本が3走渡部暁から2位でつながれたバトン。個人ノーマルヒル金メダルのガイガーのドイツ、オーストリアとの3チームでの競り合いで、先にオーストリアが脱落。最後は2位ドイツに0秒3差だった。「できるだけ最後までメダル争いをしたかった」。エースを3走に、最年少を最終走者に起用した河野ヘッドコーチの策が的中した。

暁斗先輩から叱られたあの夜、山本は変わった。20年1月のW杯バルディフィエメ大会。団体スプリントに出場した。前半トップも後半で9位。失速した山本はペアを組んだエースに「僕の力が足りず、すみませんでした」とわびた。宿舎に帰ってからの夜、相部屋で険しい表情で聞かれた。「なんで謝ったのか? 申し訳ないって気持ちがあるならもっと走って欲しいし、もっと何かできることがあるんじゃないか」。それ以降、常に全力を出し切ったと言える試合を心掛けるようになった。大仕事を果たせる原動力となった。

オーストリア、ノルウェー、ドイツの「3強」に次ぐ前半飛躍4位から一角を崩した。複合界の未来もキラキラと輝く、そんな銅メダルだ。渡部暁は「僕がいなくても大丈夫かなという感じですよね」と頼もしそうに仲間を見つめた。4人は表彰台に、笑顔いっぱいではしゃいで立っていた。【保坂果那】