無敵のエース、小林陵侑(25=土屋ホーム)が日本の金メダル第1号となった。合計275・0点で、2位のマヌエル・フェットナー(オーストリア)を4・2点差で制した。

1998年長野五輪ラージヒル(LH)の船木和喜以来、24年ぶり3人目(72年札幌五輪70メートル級の笠谷幸生含め)となる個人金メダル。「ジャンプ界の未来がかかっている」と重責を背負う中、予選4位通過から期待に応えてみせた。

飛距離点と飛型点による得点を2回の合計で争う決勝。金メダル有力候補として臨む中、1回目に104・5メートルを飛び、145・4点。同じく金候補のライバル、カール・ガイガー(ドイツ)が96・0メートルで127・5点にとどまり21位と沈む中、2位のペテル・プレプツ(スロベニア)に6・2点差をつけてトップに立った。1回目を終えると「すごくいいジャンプができた。2回目は緊張すると思うけど、自分のイメージを心掛けて飛びたい」。その言葉通り2回目も99・5メートルで129・6点ときっちりまとめ、圧倒的な強さを見せた。

兄の潤志郎は27位。その兄と抱き合うと「2本ともいいジャンプができた。(兄とは)一緒に悔しい思いや、うれしい思いをしてきたので、うれしかったです」。目には涙がにじんだ。くしくも2月6日は、50年前の札幌五輪で「日の丸飛行隊」が表彰台を独占した日だった。

ジャンプには、ジャンプ台のサイズ(ヒルサイズ=HS)が異なるノーマルヒル(NH=HS85~109メートル)とLH(HS110~184メートル)の個人2種目がある。小林は五輪デビューとなった2018年平昌大会はNHで7位に入った。当時、五輪前のワールドカップ(W杯)個人総合ランキングは34位と番狂わせを起こしての入賞だった。

そして2度目の五輪までの4年間で立場は変わった。海外のトップ選手の映像を研究し、踏み出しを改造。滑走スピードを殺さず、上方へ高く飛び出す「鳥人」技をつくり上げた。すると平昌五輪の翌シーズン、18-19年に日本人初のW杯個人総合覇者。その年末年始のW杯4試合で争う伝統の「ジャンプ週間」は4戦全勝。史上3人目の快挙だった。

今季もジャンプ週間4戦で3勝を挙げ、2度目の総合優勝を果たした。W杯でトップ5を外したのは1度だけ。出場16戦の平均順位は2・75という安定感で、最多の7勝を挙げている。通算26勝は日本男子歴代最多記録を更新中だ。

次は11日のLH予選。今大会は新種目の混合団体も含め4種目に出場する。五輪3冠なら88年カルガリー大会の「鳥人」マッチ・ニッカネン氏(故人)以来、34年ぶり2人目の大偉業となる。

「金メダルはうれしい。次につなげたいです」

陵侑の新たな鳥人伝説が始まった。